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    <title>門司大里教会メッセージ</title>
    <description></description>
    <link>https://daili055.blog.shinobi.jp/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>賢く、そして素直に</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書10章16～25&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「蛇のように賢く、鳩のように素直に」（10:16）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鳩は、貧しい人が羊の代わりに捧げる犠牲として用いられました。&lt;br /&gt;
「素直に」とは、「傷がない」という意味です。&lt;br /&gt;
いたずらに殉教しようとせず、「賢く」別の場を見つけ、したたかに生き延びなさい。&lt;br /&gt;
そして、神の前を傷なく歩みなさい、という言葉なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana1a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる･･･総督や王の前に引き出され･･･」（10:17～18）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これにはマタイ福音書が編集された紀元80年頃の状況が反映されています。&lt;br /&gt;
2～3世紀に起こったローマ帝国によるキリスト教徒迫害には、&lt;br /&gt;
三つの理由があるとされます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
皇帝礼拝を拒否したこと、&lt;br /&gt;
ローマの神々の祭に参加しなかったこと、&lt;br /&gt;
売買春や怪しげな薬に手を貸さなかったこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、当時の社会で当然とされたことに同調しなかったために、&lt;br /&gt;
邪魔な存在として排除されたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;戦時下では、ホーリネス教会が弾圧されました。&lt;br /&gt;
日本基督教団が成立して1年後、1942年のことです。&lt;br /&gt;
主イエスが再び来られる時、すべての人が裁かれるという、再臨信仰を固く守っていたからです。&lt;br /&gt;
天皇陛下も裁かれると言うのかと咎められ、治安維持法によって134名の牧師が検挙され、拷問を受けて7名が獄死しました。&lt;br /&gt;
そして、 274の教会と伝道所が解散命令を受けたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その時、教団の指導者たちは、&lt;br /&gt;
「彼らは、愚かな信仰を持っているのです。わたしたちは違います。解散処分は当然です。」&lt;br /&gt;
と言って、見捨てたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;朝鮮でも弾圧がありました。&lt;br /&gt;
1938年、アメリカとの戦争が始まる前ですが、&lt;br /&gt;
日本教会の指導者が&lt;br /&gt;
「神社は宗教ではない。国家の祭祀として国民に要求される行為だ。」&lt;br /&gt;
と説得しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでもなお神社参拝を拒否したために、大勢の人が警察に連行され、&lt;br /&gt;
拷問を受けて50名以上の人が獄死しました。&lt;br /&gt;
19の学校が廃校になり、200以上の教会が閉鎖に追い込まれたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;日本社会は、人間の命を守ることや人権について、あまりにも鈍感です。&lt;br /&gt;
技能実習生制度からは、人権軽視とアジア蔑視が透けて見えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クリスマスの出来事、「飼い葉桶の中の幼な子」は、&lt;br /&gt;
もっとも弱い者と共におられる神様を示す、しるしです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アドヴェントにあたって、そのことを覚えたいと思います。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年12月2日）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>主の平和を告げる</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書10章1～15&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」（10: 6）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「イスラエルの民」＝「失われた羊」ではありません。&lt;br /&gt;
病気を患い、死んだような状態で希望を失っている人、&lt;br /&gt;
重い皮膚病の人、&lt;br /&gt;
罪人というレッテルを貼られている人、&lt;br /&gt;
社会から排除され人間扱いされていない人に、&lt;br /&gt;
神の祝福を伝えなさい、と言われたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。」（10:12）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聖書の語る「平和」シャロームは、心の安らぎではありません。&lt;br /&gt;
神との関係が満たされ、欠けるものがない状態です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
復活の主が、部屋に閉じこもって震えている弟子たちに現れて、&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「あなたがたに平和があるように」（ヨハネ20:19、21、26）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
と言ってくださった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神に従っていく時、きびしい立場に立たされ、立ち往生することがあります。&lt;br /&gt;
そんな時に、シャロームが与えられて、神に従っていくことができる。&lt;br /&gt;
神が共にいてくださるから、何も恐れることはないという、祝福の言葉です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;弟子たちが遣わされる場面に、&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「徴税人のマタイ」（10:3）&lt;/strong&gt;、&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「熱心党のシモン」(10:4)&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
という言葉があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「熱心党」は、イスラエルを昔のように栄光に満ちた国にしたいと願う、国粋主義者たちです。&lt;br /&gt;
彼らから見ると、徴税人はローマの手先となった裏切り者です。&lt;br /&gt;
そんな二人が主イエスの弟子として並んでいるのは、不思議な光景だったことでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに&lt;strong&gt;「イエスを裏切ったイスカリオテのユダ」(10:4)&lt;/strong&gt;の名前があります。&lt;br /&gt;
主イエスは、「徴税人」、「熱心党」、「裏切り者」といった危ない人たちを招いて、&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「天の国は近づいた」(10:7)&lt;/strong&gt;と宣べ伝える者とされたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「近づいた」は完了形で、「神の国は、すでに始まっている」という言葉です。&lt;br /&gt;
このことをイザヤ書は「あなたの神は王となられた」、と表現します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「いかに美しいことか／山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。&lt;br /&gt;
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え／救いを告げ／あなたの神は王となられた、と／シオンに向かって呼ばわる。」（イザヤ書52:7）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この「平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え／救いを告げ」は、&lt;br /&gt;
同じ事を違う言葉で言い換えて繰り返す、ヘブライ語特有の強調表現です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「平和があるように」（シャローム）と神の祝福を告げることは、&lt;br /&gt;
「恵みの良い知らせ」（福音）を伝えること、「救い」を告げることと重なっているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;エリートではなくて、ローマの犬と蔑まれた「徴税人」、&lt;br /&gt;
愛国心に燃えてぶっそうなことをやらかす「熱心党」、&lt;br /&gt;
主イエスを「引き渡す」ことになるイスカリオテのユダ、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、どこまでもついて行きますと言いながら、逃げ出してしまうシモン・ペトロが、&lt;br /&gt;
使徒として用いられたのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年11月25日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>深く憐れんで</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書9章32～38&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。」（9:35）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
4章23節に、ほぼ同じ文があります。&lt;br /&gt;
4章23節と9章35節が枠になって、主イエスの教えと御業を囲い込む形です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何のために主イエスが教え、何のために癒しの業をなさったのか、ここで立ち止まって考えてほしい、というのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana1a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」（9:36）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「深く憐れむ」（スプランクニゾマイ）とは、お腹が引きちぎられるほどに心を揺さぶられる、という表現です。&lt;br /&gt;
希望を失い、空しいものに引きずられて、さまよっている人間を見て、心を揺さぶられたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「羊」と「羊飼い」は、イスラエルの人々と神を表す言葉です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。･･･わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。」（エゼキエル書34:11、16）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神ご自身が失われた羊を見つけ出して、養う。傷ついたものを包み、弱ったものを強くする、と語られています。&lt;br /&gt;
これが、失われた1匹の羊を探すために99匹を残して探しに行くという話（18章）の下敷きになっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」（9:37～38）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聖書が語る「収穫」は、終わりの日の裁きの時を意味します。&lt;br /&gt;
「収穫」は、実りを穫り入れるだけでなくて、毒麦を取り除く時なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麦と籾殻に分けられ、籾殻は焼かれる。&lt;br /&gt;
その時が迫っているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主イエスは、徴税人や罪人とともに食卓について、あなたも神に祝福されている神の子だと宣言なさった方です。&lt;br /&gt;
そんな方が、裁きの時だ、お前たちは裁かれると言って終わりになさるでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主イエスは、終わりの日の裁きを前にして、&lt;br /&gt;
神の裁きを、ご自分の身に引き受けられたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何を祈るか。&lt;br /&gt;
収穫の時、総決算の時が迫っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さまよっているわたしたちの姿を見て、主イエスが心の底から憐れに思い、十字架への道を歩んでくださった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのことを、まず感謝しましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赦された恵みを感謝し、その喜びを伝える人を送ってください、と祈る。&lt;br /&gt;
そして、こんなわたしをお用いください、と祈るのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年11月18日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
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    </item>
    <item>
      <title>ダビデの子よ、憐れんでください</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書9章27～34&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「ダビデの子よ」（9:27）&lt;/strong&gt;という言葉は、栄光にあふれるメシア、強く栄える国をもたらしてくれる王を待ち望む、人々の期待の表れです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、真の救い主は、「ダビデの子」などという次元の存在ではありません。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana1a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「そのとき、見えない人の目が開き／聞こえない人の耳が開く。そのとき／歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。」（イザヤ書35:5～6）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イザヤが語ったことが、今、目の前で起こっている。&lt;br /&gt;
マタイ福音書は、盲人の口を通して、「この方こそメシアである」と宣言し、イザヤの預言が成就した、救い主が到来した、と語るのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;二人の盲人が見えるようになったとき、&lt;strong&gt;「だれにも知らせてはいけない」（9:30）&lt;/strong&gt;と主イエスは言われます。&lt;br /&gt;
これには、二つのポイントがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一つは、群集の勝手な期待です。&lt;br /&gt;
この国を強く栄える国にしてくれるという期待は、大きな誤解です。&lt;br /&gt;
人々は期待が叶えられないと分かると、腹を立てて「十字架につけろ」と叫ぶようになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう一つは、ファリサイ派の人たちの敵意です。&lt;br /&gt;
癒しの業を見て、人間に罪を赦せるはずがない、と敵意を抱いたのです。&lt;br /&gt;
そして、それがついに殺意に変わります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
癒しの物語は、十字架につながっているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「憐れんでください」（9:27）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヘブライ語の「憐れみ」（ラハミーム）は、女性の子宮に通じています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神の憐れみは、裏切り、背き続ける人間を、一方的に赦して受け入れる愛です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「わたしにできると信じるのか」（9:28）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「あなたがたの信じているとおりになるように」（9:29）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この人たちの信仰が立派だから、癒されたのではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主イエスは、二人の誤解に気づきながら、頭から否定しないで、よし分かった、願いがかなえられるようにと言われて、治してしまわれたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主イエスを見上げて求めるなら、&lt;br /&gt;
たとえ救い主の意味が分かっていなくても、願いをかなえようという神の一方的な憐れみ、赦しの愛が、ここで語られています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;神の憐れみに触れるとき、罪をかかえた不十分なままで受け止めていただいた恵みを、&lt;br /&gt;
周りの人たちと分かち合う歩みへと、突き動かされるのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年11月11日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>娘よ、元気になりなさい</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書9章18～26&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「娘がたったいま死にました。」（9:18）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
助けてくださいと、ひれ伏す父親に応えて出かけていく主イエスの前に、&lt;strong&gt;「12年間も･･･出血が続いている」（9:20）&lt;/strong&gt;女性が割り込んできます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方は人々から尊敬されている有力者で、もう一方は呪われた病気のために社会から排除されてきた女性です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「お前に触ったら汚れる、近づくな」と言われ続けてきた女性に、&lt;br /&gt;
主イエスは&lt;strong&gt;「娘よ」（9:22）&lt;/strong&gt;と呼びかけます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あなたは、わたしの娘だ、家族だ」という言葉です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これだけで、この女性は癒されたことでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「『あなたの信仰があなたを救った。』そのとき、彼女は治った。」（9:22）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「救った」「治った」と翻訳されているのは、どちらも「救う」（ソーゾー）という同じ言葉です。&lt;br /&gt;
この女性が真に癒されるためには、家族として受け入れられ、仲間として歓迎される必要があったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「救われる」とは、欠けることのない満たされた状態にされることです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この女性は、「生ける屍」のように、苦悩に満ち、何の意欲も湧かない状態でした。&lt;br /&gt;
そんな女性が、「娘よ」と呼ばれて抱きかかえられ、喜びにあふれて生きる者とされたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;これに、&lt;strong&gt;「少女は死んだのではない。眠っているのだ。」（9:24）&lt;/strong&gt;という話が続きます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「眠っている」とは、目覚める時を待つ状態です。&lt;br /&gt;
「死んだら、すべて終わり」ではないのです。&lt;br /&gt;
人間を打ちのめして無力にする病いや死の力を、主イエスは打ち破り、真の生きる力を与えてくださる方である、と語っているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;草花は、季節が来ると芽を出し、つぼみを付け、花を咲かせます。&lt;br /&gt;
長く咲き続ける花もありますが、一夜で散る花もあります。&lt;br /&gt;
どんな花も種を付け、実をつけ、次の世代を準備しています。&lt;br /&gt;
花が枯れなければ、次の種は実りません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;病いや死に打ちのめされたとしても、それで終わりではありません。&lt;br /&gt;
悲しみに出会うことによって、人間の悲しさを知ります。&lt;br /&gt;
大切な人を失うことによって、命がかけがえのないものであると知ります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「あなたの信仰があなたを救った。」（9:22）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信仰」（ピスティス）という言葉は、「真実」「信頼」「まこと」「ひたむきさ」という意味を含んでいます。&lt;br /&gt;
あなたのひたむきな真実があなたを救った、あなたの一途な願いが聞き届けられたというのです。&lt;br /&gt;
周りの人たちをひたむきに愛そうとする時、神の愛によって満たされるのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年11月4日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://daili055.blog.shinobi.jp/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88/%E5%A8%98%E3%82%88%E3%80%81%E5%85%83%E6%B0%97%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%95%E3%81%84</link> 
    </item>
    <item>
      <title>花婿と共にいる喜び</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書9章14～17&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」（9:14）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
バプテスマのヨハネは、終わりの日の審きを免れるために、悔い改めのバプテスマを迫りました。&lt;br /&gt;
彼の弟子たちは、禁欲的な姿勢を受け継ぎ、主イエスが徴税人たちと宴会をして騒いでいるのを見て、腹を立てたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana1a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;わたしたちも、そういう考え方に傾きがちです。&lt;br /&gt;
日本の教会では悔い改めが強調され、真面目に忠実に信仰生活を守ることが重視されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これはうっかりすると、バプテスマのヨハネの信仰やファリサイ派の信仰にとどまっている、ということになりかねません。&lt;br /&gt;
主イエスが語ってくださった喜びに、至っていないという面があるのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「花婿が一緒にいる」（9:15）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
花婿と花嫁の部屋に招き入れられたごく少数の友人たちが、杯を酌み交わしながら喜びを共にするのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
花婿の喜びを我がことのように喜ぶ、花婿と一緒にいることで喜びが溢れてくる、親しい友の喜びを共に喜び、深い絆を味わう喜びなのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新郎の祝いの部屋に招き入れられて、今、喜びを味わっている。&lt;br /&gt;
だから、喜びにはじけるのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
今日は、洗礼式があります。&lt;br /&gt;
洗礼（バプテスマ）には、どういう意味があるでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
①救い主イエスと結ばれて、一つにされる。&lt;br /&gt;
②罪の体が死に、新しい命に生かされる。&lt;br /&gt;
③罪の赦しが与えられる。くよくよと思い悩むことから解放され、大胆に行動できるようになる。&lt;br /&gt;
④聖霊が与えられる。神の命の息吹が吹き込まれる。&lt;br /&gt;
⑤教会の交わりに加えられる。世界中に広がる教会の交わり、時を超えた聖徒の交わりに加えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
洗礼は一人の人の救いにとどまらない、みんなの喜びなのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」（9:17）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主イエスの福音には、「古い革袋」、すなわち掟や断食や宗教的な儀式を打ち破るほどの、ダイナミックな力がみなぎっていて、小さな枠組みに閉じ込めることなどできないのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
わたしたちは、主イエスが語ってくださった福音を信頼し、主イエスに従って歩むことで、喜びにあふれて歩むことができます。&lt;br /&gt;
何ごとをも恐れず、失敗や間違いを恐れることなく、大胆に行動することができるのです。&lt;br /&gt;
喜びにあふれて、周りの人と喜びを分かち合う歩み、新しい命へと、招かれているのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年10月28日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>罪人を招くために</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書9章9～13&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
ローマ帝国は、税を取り立てるにあたって、地域ごとに請負人を入札で決めました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
税の取り立てを植民地の住民に押しつけて、ローマ自身は手を汚さない。&lt;br /&gt;
少々懐に入れても目をつぶって、決められた税を前払いで納めさせる制度でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana1a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徴税人は、多額の税を前払いで納めることによって、権利を得ました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
取り立てそこなうと大損する、リスクの高い仕事です。&lt;br /&gt;
上乗せして取り立てないと、損をするかも知れない。&lt;br /&gt;
こうして、取り立てやすいところからできるだけ取り立てようとしたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
徴税人は、なぜ蔑まれていたのでしょうか。&lt;br /&gt;
ローマのために働いていたからです。&lt;br /&gt;
しかも、異邦人と接して汚れている、と見られたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ファリサイ派の人たちがとがめます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」（9:11）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。」（9: 13）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
は、ホセア書6:6の引用です。&lt;br /&gt;
罪人とともに食事をするのは、預言者の言葉に忠実に従った結果だと言うのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よく見ると、ホセア書の「愛」が、マタイ福音書では「憐れみ」に変わっています。&lt;br /&gt;
ホセア書で「愛」は、ヘブライ語のヘセドが使われています。&lt;br /&gt;
ヘセドは、「慈しみ」とも訳されます。&lt;br /&gt;
人間がどんなに背き続けても、変わることなく愛を注いでくださる、神の真実、まこと、です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」（9:13）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「正しい人」とは「義なる人」、ギリシア語でディカイオスです。&lt;br /&gt;
「信仰によって義とされる」と言うときの「義」が、ディカイオスネーです。&lt;br /&gt;
「自分は義であると自負する人」ではなくて、わたしには何の値打ちもないと考えている人、人から後ろ指を指されるような「罪人」を、神は招いておられるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「彼は立ち上がってイエスに従った。」（9:9）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「立ち上がる」（アニステーミ）は、横たわっていた病人が立ち上がる、何か発言するために、行動するために立ち上がる。&lt;br /&gt;
これが、アニステーミです。&lt;br /&gt;
名詞形でアナスタシスは、「復活」です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
マタイという人は、仕事の現場で、主イエスから「わたしに従っておいで」と声をかけられたのです。&lt;br /&gt;
「そのままで従って来なさい」と言われたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「わたしは、義なる人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ」、と言ってくださった。&lt;br /&gt;
ここに、救い主の姿がはっきりと描かれています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年10月21日）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>あなたの罪は赦される</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書9章1～8&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
古代の人は、重い病気になるのは、罪を犯して神の罰を受けているのだと考えました。&lt;br /&gt;
病気になって、あの人は何か悪いことをしたに違いないと周りから見られるのは、屈辱的なことです。&lt;br /&gt;
まるで死人のように、自分の思うように行動できない辛さ、悔しさ、悲しさ、絶望が、「中風の人」を包んでいたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana1a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」（9:2）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在形の受身形です。&lt;br /&gt;
あなたは、神から見捨てられた、わたしには何の希望もないと絶望し、気力も失せて嘆き悲しんでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、あなたは赦されているのだ、神に愛されているのだ、という赦しの宣言です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」（9:5）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「罪が赦される」のは、重大なことがらです。&lt;br /&gt;
ただ願うほか、ありません。&lt;br /&gt;
しかし、罪が赦されたかどうかは、見た目では分かりません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、「起きて歩け」の方は、治らなかったら誤魔化しようがありません。&lt;br /&gt;
そこで、「あなたの罪は赦される」などと、とんでもない罰当たりのことを言ったのだろうと、この律法学者は考えたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、主イエスがなさったのは、まず罪の赦しの宣言でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
心に喜びが溢れ、神から与えられる命が湧き出してくる、罪の赦しをお与えになった。&lt;br /&gt;
その後で、病いをいやされたのです。&lt;br /&gt;
「どちらが易しいか」という問いは、「どちらが根本の問題か」というきびしい問いなのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」（9:6）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「起き上がる」エゲイローは、受身形で使われると、神によって死者の中から起こされる、復活するという意味になります。&lt;br /&gt;
まるで死者のように、どうすることもできなくて苦しんでいる状態から、起こされ、復活の命で満たされるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「家に帰る」とは、自分の働き場に帰って行くことです。&lt;br /&gt;
でも、来たときとは全然違います。&lt;br /&gt;
「踊り上がる」ようにして、自分の持ち場に帰って行ったのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神が罪を赦してくださる方であることに目を留め、神の愛を全身に受けて、喜びにあふれて立ち上がりなさい。&lt;br /&gt;
こう呼びかけられているのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年10月14日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>悪霊を追い出すイエス</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書8章28～34&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「向こう岸のガダラ人の地方」（8：28）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「向こう岸」は、今いる場所と対極の場所です。&lt;br /&gt;
ガダラ人の地方は、異教の民が住む不浄の地とされていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「豚の群れ」（8:30）&lt;/strong&gt;も、汚れた地につながっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おぞましい、汚れた地なのです。&lt;br /&gt;
とんでもない場所に、主イエスはわたしたちを連れて来た、という弟子たちの当惑があるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana1a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;不浄の地とされる、とんでもない場所にやって来た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すると、悪霊に取りつかれた人が来て叫びます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」（8:29）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「その時」とは、「終わりの日」、「救いの日」です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「時は満ち、神の国は近づいた。」（マルコ1:15）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神の国、神の支配、救いの日が近づいた。神の子が来られたことによって、今すでに始まったと宣言されるのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
悪霊は、主イエスがお出でになって、神の国が到来したことを直感したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その日はまだ先だと思っていたのに、救いの時が始まるのか、自分たちは消え去らなければならないのか、と悲鳴をあげます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マタイ福音書は、悪霊に真実を言わせています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この方こそ救い主だ、救い主が来られたからには、もう悪霊が悪さをする余地などないと、宣言しているのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
猛威をふるう悪霊を、主イエスは追放されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「行け」というひと声で、悪霊を根絶なさるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
わたしたちは、目の前の様々な出来事にがっかりし、絶望してしまいます。&lt;br /&gt;
世の中には悪がまかり通っている、神様なんて本当にいるのか、と思うことがあります。&lt;br /&gt;
しかし主イエスは、悪霊を徹底的に滅ぼされるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
救いの日は近い。&lt;br /&gt;
もう始まっている。&lt;br /&gt;
そのことを悟りなさいと宣言しているのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
この物語で、悪霊は汚らわしい姿で近づいてきました。&lt;br /&gt;
しかし、悪の力は魅力的な光り輝く姿で近づいてきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
わたしたちは、力ある者になりたい、お金持ちになりたい、出世したい、豊かになりたい、幸せになりたいという思いを持っています。&lt;br /&gt;
その思いに、悪霊は入り込んでくるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、まるで墓場に住んでいるような生活、そして汚れたものを喜んで口にしていることに気づかないで、わたしほど立派な者はいないと、うそぶくことになります。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、主イエスが悪霊を滅ぼしてくださる。&lt;br /&gt;
主イエスを見上げる時、軽んじられ、踏みつけにされている人に、神の愛が注がれていることを知るのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
わたしたちが軽んじ、見下しているあの人と、共に歩もうと考え方を変える、そこから新しい生き方が始まるのです。&lt;br /&gt;
毛嫌いし、憎み、赦せないと腹を立てているあの人と、共に歩もうと心を変える時に、新しい命で満たされるのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年10月7日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://m-daili055.chu.jp/home/?page_id=768&quot; title=&quot;&quot; target=&quot;_self&quot;&gt;ホームページに戻る&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>嵐の中で</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;strong&gt;マタイ福音書8章23～27&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。」（8:24）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「嵐」という言葉は、「震え」「揺れ」、&lt;br /&gt;
別の箇所では「地震」と訳されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「激しい揺れが起こった」というのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弟子たちが言います。&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「主よ、助けてください。」（8:25）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana1a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「主よ、救い給え。」&lt;br /&gt;
これは、初代教会の礼拝でくり返し唱えられた、祈りの言葉です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」（8:26）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪しき力を打ち破り、押さえつけることができるのは、神だけだ。&lt;br /&gt;
風と湖を鎮めたこの方は、神の子だ、と語っているのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
奇跡物語は、受け止め方を間違えると、とんでもないことになります。&lt;br /&gt;
主イエスは、あらゆる天変地異を制御する力をお持ちの方だ、&lt;br /&gt;
だから主イエスに従っていたら何の心配もないとか、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逆に災害にあうのは神の怒りに触れたのだとか、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういう考えにつながることがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自然の脅威を前にして、被害にあわせないでくださいと祈るのではなくて、&lt;br /&gt;
不思議な自然の法則が働いていることを知って、&lt;br /&gt;
謙虚に確かな教訓を得ることが大切なのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
先週、「エルピス熊本」を訪ねた時に、阿蘇を通って行きました。&lt;br /&gt;
驚いたことに、ロープウェーの駅舎の屋根や壁に大きな穴が空いていました。&lt;br /&gt;
大きな噴石が飛んできたのでしょう。&lt;br /&gt;
たとえ噴火しても噴石が飛んでこないと計算した場所に駅舎を建てたはずですが、廃墟になっていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福島の原発も、絶対安全だと胸を張っていたのに、大惨事を起こしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
わたしたちは、自然を前にして、傲慢な考えを捨て、謙虚にその力を認めることが求められるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」（8:26）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信仰の薄い」はオリゴピストスという言葉で、オリゴスは小さい、ピスティスは信仰、信頼、真実という意味です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
わたしをまだ信頼していないのだな、という言葉です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
わたしたちは、悪の力が世界を圧倒しているかのように思い、希望を失ってしまいます。&lt;br /&gt;
しかし、神に逆らう者は必ず滅び去り、悪の支配は必ず終わる、そう預言者はくり返し語りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;http://file.daili055.blog.shinobi.jp/c-sakana2a.jpg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;主イエスが風と湖を鎮められたことは、風と湖を荒れ狂わせている悪魔的な力を打ち破られたことを象徴しています。&lt;br /&gt;
世を支配しているかに見える悪魔的な力を、必ず主は打ち破ってくださる。&lt;br /&gt;
だから、主イエスが乗り込む舟に従って行こう、と招かれているのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（2018年9月30日）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://m-daili055.chu.jp/home/?page_id=768&quot; title=&quot;&quot; target=&quot;_self&quot;&gt;ホームページに戻る&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;</description> 
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