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一つに集めるために

 ヨハネ福音書11章45~57


ラザロの復活物語は、主イエスを指し示して、「わたしは復活であり、命である。」(11:25)と語ります。

「四日もたっていますから、もうにおいます」(11:39)

もう何の望みもないと考える私たちに、主イエスは死の力を打ち破る力を持っている、死んだようにして生きている人、罪の中に囚われている人を解放し立ち上がらせる力を持っている、そういう方であると語ります。



最高法院は、裁判や行政を扱うユダヤの自治機関であり、祭司長、律法学者、長老からなる71人の議員がいました。

その招集者が大祭司で、カイアファは紀元18年から37年まで20年近く大祭司でした。

この時代には、ユダヤ教と政治運動が結び付いて、ローマに抵抗し独立を果たそうとする「メシア運動」が盛んでした。

その指導者を処刑することによって、ローマに対する抵抗運動を押さえ込もうと考えたのです。

ナザレのイエスを処刑することで治安を維持できるなら結構ではないか、あの田舎者には死んでもらおうと、カイアファは言っているのです。

昔も今も為政者は、国を守り繁栄を維持するためには反対者の口を封じ、抹殺するのもやむを得ないと考えるのです。

これは、人間の悪の現れです。

そういう悪の力が、わたしたちのなかで働くのです。カイアファの言葉に、そのことが象徴的に表れています。




散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ」(11:52)という言葉は、誤解を生み出してきました。

教会につながる者だけが救われると考えてきたのです。

しかし、この言葉は「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(10:11)につがっており、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。・・・こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」(10:16)につながっています。

この囲いに入っていないほかの羊も」に注目すると、異邦人や神を知らない者を含めて、一つの群れへと招かれていることが明らかです。

良い羊飼いは、羊のために命を捨てる。」「囲いに入っていないほかの羊も」、「一つの群れになる。」と言われる、主の声に聞き従って、歩んでまいりましょう。
(2015年7月5日)

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