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一緒に食事している者が

マルコ福音書14章12~21
過越祭は、出エジプトの出来事を記念して、毎年おこなわれる祭です。

出エジプトの前夜、1歳の傷のない雄の小羊の血を、戸口の2本の柱と鴨居に塗った。
小羊の血が塗られた家は、神の死の使いが通り過ぎた。
この出来事を記念して、過越の食事をし、奴隷の地から救い出された民であることを思い起こすのです。



「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。」(14:13)

この奇妙な指示に従ったところ、過越の食事の席が用意された家にたどり着いたというのです。
これは、偶然のように見えるがそこに神の意志が働いているという、聖書の語り方です。

その食事の席で、「あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」(14:18)と裏切りの予告がされます。
ここで「裏切る」と訳されているのは、「引き渡す」という言葉です。

「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。」(14:20)
この言葉は、詩編41篇につながっています。
「わたしの信頼していた仲間、わたしのパンを食べる者が、威張ってわたしを足げにします」(詩編41:10)
わたしが病気になって床についたとたん、信頼していた友がわたしを慰め励ますどころか、あの人は神の罰を受けているのだと言って、わたしを軽んじ、足げにする。
「わたしの信頼していた仲間」は、「我がシャロームの人」という言葉です。
神と調和した関係にあること、本来人間があるべき状態、これがシャロームです。
わたしとシャロームと言い交わしていた仲間、わたしと一緒に食事をしている信頼する友が、わたしを裏切る。
そこに、主イエスの深い嘆きがあります。

そんななかで、主イエスは裏切ろうとする者、自分を見捨てて逃げ出す者をも、愛の眼差しを持って受け入れ、「これはわたしの体である。・・・わたしの血である。」(14:22、24)と言って、パンを裂き葡萄酒の杯をお与えになったのです。



マルコ福音書は、この最後の晩餐は過越の食事、つまり神がわたしたちを救い出してくださるしるしとなる食事であった、と語ります。
ナザレのイエスは、わたしたちを死から贖う過越の小羊であると、語っているのです。
この神の愛を感謝して、受け取りたいものです。
(2017年9月3日)



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