マタイ福音書6章9~15
「わたしたちの負い目を赦してください」(6:12)。
ギリシア語で「負い目」は、負債、借金です。
「赦しましたように」(6:12)
「わたしは赦しました」というのです。
いつ赦したのでしょう。
全然赦してなどいません。
それどころか、いつも心の奥で恨みに思い、腹を立て、怒りがくすぶっています。
ルカ福音書では、「赦しますから」(ルカ11:4)です。
これから赦しますという未来の行いを約束する意味での、現在形です。
マタイ福音書では「赦しました」、過去形です。
そもそも人間は、誰かを赦すことなどできません。
主の祈りを祈るとき、「あの人を赦しましたから」と言えるような、そんな祈りができたらいいね、という主イエスの願いが含まれている、と考えてはどうでしょうか。
聖書の語る「罪」は、神様とわたし(たち)との関係が、歪んでいることを言います。
背いている、裏切っている、信頼に応えていない、という意味です。
神様との関係が歪んでいるということは、とりもなおさず隣の人と、友達と、家族との関係が、崩れているということです。
「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」(6:13)
「悪い者」は、ここではポネイロースという言葉が使われています。
ヘブライ語ではサターン、人を罪と不信に引きずり込む力、疑うこと、怒りを覚えることへと誘い込む力です。
わたしたちを疑いや争いへと引きずりこんでいく力から、助け出してください。
これは、「わたしたちを罪の縄目から解放してください」、とイコールです。
「赦すことができますように」は、「悪い者から助け出してください」とつながっています。
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。」(6:14)
これは、「赦せない、どうしたら赦せるだろうか」と思い悩むわたしたちへの、慰めの言葉です。
あなたは赦せなくて困っている。どうしたら赦せるだろうかと、苦しんでいる。
けれど本当に赦すことができたら、どんなに神様は喜ばれるだろうか。
あなたがたの肩の荷がどれだけ下りるだろうか。
あなたの方から赦しなさい、あなたの方から歩み寄りなさい、あなたの方から握手の手を差し伸べなさい、という励ましなのです。
(2018年7月1日)
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