ヨハネ福音書1章1~18
ヨハネ福音書は、ナザレのイエスこそ救い主メシアであり、神の子であることを、不思議な言葉で説明しています。
キーワードに出会うとき、その言葉が旧約聖書や同じヨハネ福音書の別の箇所でどう使われているかを確認することが大切です。
「人間を照らす光」(1章4)という言葉は、神が
「光あれ」と言われた(創世記1章3)と世界を説明する記事、
「夜も光がわたしを照らし出す。」(詩編139篇11)、
「昼は雲の柱、夜は火の柱」が荒れ野で民を導いた(出エジプト13章21)という記事につながっています。
また、
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ9章1)という記事は、生きていく方向を見失った民にその行く手を
「導く光」、死の危機に直面する者に
「命の水」が与えられると語っています。
「私は世の光である」(8章12)という言葉の直前にあるのは、主イエスを試そうとして、罪の女を石で打ち殺すべきかどうかと問う物語です。
律法(正義)を振りかざして弱い者を断罪し、人を陥れようとする人間の残酷さと醜さが際立っています。
こんなどうしようもない私たちのために、主イエスは「一粒の麦」(12章24)として死なれた、
「だれも暗闇の中にとどまることがないように、わたしは光として世に来た。」(12章46)と言われているのです。
(2014年6月22日)
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