ヨハネ福音書1章19~28
バプテスマのヨハネは、預言者エリヤの再来ではないかと考えられていました。
エリヤは、紀元前9世紀に北王国のアハブ王がフェニキアのシドンから王妃を迎えバアルの祭壇を築いたとき、これをきびしく非難し、王の不正を弾劾した預言者です。
エリヤは生きたまま、ヨルダン川のほとりで天に上げられた(列王記下2章)とされ、終わりの日には再び遣わされて民を救うと信じられていました。ヨルダン川のほとりでヨハネが活動を始めた時、人々はエリアの再来だと考えたのです。
「荒れ野」は、農耕に適さない、乾いて荒れた大地です。同時に、「荒れ野」には深い意味が隠されています。
①出エジプトの出来事。「約束の地」に入るには「荒れ野の40年」が必要でした。
②神様の声を聞くには、「荒れ野」に身を置く必要があると預言者たちは考えました。
③「荒れ野」で禁欲生活を送ることで、信仰を貫くことが出来ると考える人たちがいました。
こうして、バプテスマのヨハネは「神の裁き」を告知し、悔い改めのしるしとしてバプテスマを授けました。来たるべき方、メシアの前に道を整えたのです。
「あなた方の知らない方」とヨハネが言ったのは、人間の経験や知識をはるかに超えた、神と等しい方という意味です。
バプテスマのヨハネが指し示した方、ナザレのイエスは、神の恵みの時が到来したと語り始められるのです。
(2014年6月29日)
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