ヨハネ福音書1章29~34
「世の罪」は、
「世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(1章10~11)を受けています。
主イエスが来てくださったのに、受け入れようとせず、かえって殺してしまったことを指しています。
「神の小羊」は、苦役にあえいでいたイスラエルの民がエジプトを脱出するときに起こった、過越の出来事を踏まえています。
エジプト全土で長子が滅ぼされた夜、戸口の柱と鴨居に小羊の血を塗った家は、その災いを免れました(出エジプト記12章)。
奴隷の家から約束の地へと導き出される前夜に、小羊の血が流されたのです。
死海写本の中に、『十二族長の遺訓』という文書があり、その中の『ベニヤミンの遺訓』に「神の小羊」という表現が出てきます。
ヤコブの12人の息子の一人で、兄たちに憎まれて殺されそうになり、エジプトに奴隷として売られたヨセフの話です。
ヨセフは、「兄さんたちの悪事を主が数えないように、父さん祈ってください」と父ヤコブに頼みます。
すると、ヤコブはヨセフを抱いて、涙を流しながら言います。
「ああ、優しい息子よ、神の小羊と世の救いについての天の預言は、お前に成就する」と。自分を殺そうとした者のためにとりなすヨセフを、「神の小羊」と呼んでいます。
ヨハネ福音書は、十字架の死を遂げられた主イエスのご受難と復活の姿に「過越の小羊」を重ね合わせて、「神の小羊」と呼ぶのです。
(2014年7月6日)
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