ヨハネ福音書1章35~51
この箇所は、主イエスが最初の弟子を招かれるお話しのように見えます。
しかし、弟子たちは主イエスの真の姿を理解することが出来ず、イスラエルをもう一度強い国にしてくれるダビデのような指導者であると誤解していたという話なのです。
「どこに泊まっておられるのですか」は、宿泊先を尋ねているのでしょうか。
「泊まる」は、ギリシア語ではメノーという言葉で、「つながる、留まる」という意味があります。
「何につながっているのか」「(神様の計画と)どうつながっているのか」と問うているのです。
この言葉は、ヨハネ15章で集中的に出て来ます。
「わたしはまことのぶどうの木」(15章1)
「 わたしにつながっていなさい。」(15章4)
アンデレともう一人は、「その日、イエスのもとに泊まった。」(1章39)のですが、イスラエルを救うダビデのようなメシアだとしか、理解できませんでした。
「見なさい。まことのイスラエル人だ」という主イエスの言葉は、ナタナエルを褒めているように見えますが、そうではありません。
イスラエルの再興をめざして、主イエスに期待をかけようとする若者に対して、私はあなたが期待するような者ではないと、やや皮肉を込めて使われている言葉です。
主イエスに従おうとするとき、私たちは自分の願いをかなえてくれる方として、期待をかけがちです。
そんな私たちの見当違いな理解にもかかわらず、主は「 わたしにつながっていなさい。」と招いてくださるのです。
(2014年7月20日)
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