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創世記4章1~16
「主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。」(4:4)
その年、アベルの家畜は多産でおおいに増えたが、カインの畑は天候不順で不作だったのです。
わたしたちは、しばしば不幸に見舞われます。
病気になる、仕事がうまくいかない、家族が不和になる、やることなすことつまずく。
それにひきかえ、隣人はすべて順調だ。
自分だけ、どうしてこんな目にあうのだろう、神から見捨てられたのだろうか、と思う時があります。
「どうして顔を伏せるのか。」(4:6)
は、心がポキンと折れた状態を表しています。
心を閉ざしたカインは、憎しみを抑えられなくて、アベルを殺してしまいます。
殺人は、創造の秩序への挑戦です。
人の命を奪った罪は、元に戻すことができません。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。」(4:13)
カインは、罪の深さに震えて、神にすがるしかありません。
「カインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受ける」(4:15)
カインを殺す者は、必ず報いを受けるというのです。
殺人の罪から、カインは逃れることはできません。
しかし、神が「しるしを付け」(4:15)、守られます。
アダムとエバは、取って食べてはならないと言われた木から取って食べ、エデンの園から追放されます。
しかし、「皮の衣」(3:21)で守られます。
同じように、弟を殺したカインですが、殺されて当然とはされず、守られます。
これは、殺人が殺人を呼ぶ「復讐の連鎖」を断ち切るという、神の宣言です。
「復讐するは我にあり。」(ローマ書12:19、文語訳)
復讐は神がなさる、憎しみをつのらせて復讐してならないのです。
パリの同時多発テロのニュースを聞いて、心が暗くなりました。
いつになったら、テロは終わるのでしょうか。
テロは、決して許されないことです。
しかし、あいつらは殺されて当然と言って良いでしょうか。
軍事力で抑え込もうとしても解決できないことは、9.11以降の歴史が示しています。
テロを食い止めることと平行して、もっと大切なのは根本的な取り組みです。
貧困や格差、構造的な暴力や差別、その一つひとつを解決していくこと、子供たちや女性のための教育や医療の充実、そういう地道な取り組みが、長い目で見て平和をつくり出すことにつながるのです。
「あなたの兄弟はどこにいるのか。」(4:9)
あなたが憎しみを募らせている隣人は、あなたの兄弟なのだと語る聖書の言葉に、耳を傾けていきたいと思います。
(2015年11月15日)
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