忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

どこにいるのか

   創世記3章1~21

エデンの園の物語は、何を伝えようとしているのでしょうか。

命の木と善悪の知識の木」(2:9)は、人間の究極的な願いを背景にしています。
永遠の命を得たい、いきいきと生きたい。さらに、すべてを知りたい、思いのままにという願いです。
ところが3章では、「園の中央に生えている木」(3:3)に変わっています。
園の中央」は、神がおられる領域です。
人間には限界がある、犯してはならないことがある、神の戒めを守りなさいと言われているのです。



聖書で「死ぬ」とは、神との関係が断たれることです。
ヘビは、言葉の中身をすり替えて、食べても死なないとそそのかしたのです。

ヘビにささやかれた女は、おいしそうだな、あれを食べたら賢くなりそうだという心の声を、抑えることができなくなります。
そこで取って食べ、「一緒にいた男にも渡」すと(3:6)、「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り」(3:7)ます。
ヘブライ語で「賢い」はアルームです。

「裸」がアローム、「呪い」がアルール。語呂合わせで「賢い」、「裸」、「呪い」がつながっていると言うのです。

賢さは、他の人のために使うと思慮深い知恵になるが、自分のためだけに使うと、こざかしい、ずる賢さになる。
そして、自分の情けない姿を隠そうとして、呪われた落とし穴にはまる。そんな言葉です。

どこにいるのか。」(3:9)。

これは、「出て来なさい。何をしたのか、正直に言ってごらん。」という呼びかけです。
しかし、アダムは神の前に立つことができません。
お赦しくださいと言うべきでした。
でも、「女が木から取って与えたので、食べました。」(3:12)と、女のせいにします。

さらに、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった」(3:12)あの女がくれたのです。
神様、あなたにも責任があるのではと言うのです。

女も「蛇がだましたので、食べてしまいました。」(3:13)と言います。
ヘビのせいにするのです。
人間の恥知らずな、ずる賢さが表れています。

お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。」(3:16)

この翻訳は、適切ではありません。
この箇所は、生きていくうえで苦しみは尽きない。だけど、子どもが与えられ、あなたは命のもとになる。
そういう存在として祝福されていると、語っているのです。



主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。」(3:21)

わたしたちの罪を一つ一つ数え上げたら、神の前に出ることなどできないでしょう。
しかし、神はわたしたちの罪を赦し、恥を覆ってくださるのです。

(2015年10月4日)

 門司大里教会ホームページに戻る

PR

Copyright © 門司大里教会メッセージ : All rights reserved

「門司大里教会メッセージ」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]