忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

あなたの息子は生きる

ヨハネ福音書4章43~54

王の役人が遠い道をやって来て、息子が病気で死にかかっています、死なないうちにおいで下さいと、主イエスに懇願します。





この人は、バプテスマのヨハネの首をはねたガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスに仕えていました。

残虐な領主に仕える者の願いなど聞き届けられるはずがないと、人々が考えたとしても不思議はありません。

ヨハネ4章に登場するのは、サマリアの女といい、この王の役人といい、救いからほど遠いとされる人たちです。

(マタイ8章・ルカ7章は、異邦人である百人隊長の願いが、その信仰の故に聞き入れられ、部下が癒やされたと伝えています。)


ここで、息子の病気を癒やしてください願う父親に対して、

「あなたの息子は生きる」(4章50)

と言われたのはどういう意味でしょうか。

「生きる」という言葉は、ヨハネ福音書ではどのように使われているでしょうか。

「死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」(5章25)

私たちは、病気を癒やしてください、この望みをかなえてくださいと祈ります。

しかし、私たちの願いは、「水を飲んでも、また渇く」ように、次から次へとふくらんで、満足することがありません。

「この願いが聞き届けられたら信じます」という私たちは、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ信じない」(4章48)と言われた人たちと同じなのです。

この父親は、子どもが死なないで助かることを願いました。

しかし、その願い以上のこと、永遠の命を生きる者とされることが約束されるのです。






聖書が教えているのは、「主イエスの言葉を聞くこと、信頼すること」です。

救われるのは、信仰の熱心さによってではありません。

「一人も滅びないで、永遠の命を得る」(3章16)ようにとの、神の愛を受けいれることによってです。

主イエスの声を神のことばとして聞き、受けいれるとき、私たちは生きる者とされるのです。

(2014年10月5日)

  ホームページに戻る

PR

Copyright © 門司大里教会メッセージ : All rights reserved

「門司大里教会メッセージ」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]