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ヨハネ福音書5章1~18
ベトザタの池の周りに、大勢の病人がいました。
水が動く時に、真っ先に池に入ると病気が治ると言われていたからです。
38年間病気で苦しんでいる人に、主イエスが「良くなりたいか」と声をかけられます。
38年というのは、イスラエルの民がエジプトを出て約束の地に入るまでの年数であり、そのあいだ民が不平不満を言いつづけたという故事を踏まえています。
この人は病気に疲れ果て、元気になりたいという気力も薄れ、「誰も助けてくれない」と人を恨むようにさえなっていたのです。
そんな人を気の毒に思い、主イエスが近づいて声をかけられたのです。
「起き上がる」エゲイローという言葉は、死者の中から「復活させる」(5章21)と同じ言葉です。
泣き言を言って逃げ込んでいた「床」を担いで起き上がり、主イエスの言葉を信頼して「歩きなさい」と声をかけられたのです。
生きる望みを失い、自分の不幸を人のせいにして、まるで死んだような日々を送っていた人が、主イエスの言葉によって起き上がり、歩きだしたのです。
しかし、この人は自分を癒やした人が「だれであるか知らなかった。」(5章13)と書かれています。
主イエスの方から近づいて、声をかけていただいた。起き上がらせていただいた。
しかし、主イエスの言葉を信頼して従うことがなかったのです。
すぐ直前の話、死にかかっていた息子を癒やされた役人が、彼もその家族もこぞって主イエスを信じたという姿と、この男の姿が対比されて語られています。
この日は安息日でした。
安息日は、神がこの世界を造り、7日目に休まれた(創世記2章2)ことを覚え、いのちを与えられていることを感謝する日です。
また、エジプトから助け出されたことを覚え、奴隷も家畜も休ませる(申命記5章14)日です。
安息日は、いのちを与えられていることを感謝し、弱い者に休息を与える日として定められたのです。
ところが、病人を癒やした主イエスを、安息日を破った者として罰しようとする人たちがいました。
長い間病気で苦しんでいた人が元気になったことを喜ぶのではなく、安息日に病気を治すのは許されていないと攻撃し非難するのです。
人のいのちを大切にするために安息日が定められたことを忘れ、安息日のために人があるかのように掟を振りかざすのです。
人のいのちよりも秩序を優先し、教えによって人を圧迫する、倒錯した姿です。
(2014年10月12日)
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