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あなたも一緒にいた

マルコ福音書14章66~72
「ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って・・・火にあたっていた。」(14: 54)
「光(フォス)で自分を暖めていた」という不思議な表現です。
67節も「暖まっていた」という言葉で、どちらも「火」という言葉は見当たりません。



「わたしは世の光である。」(ヨハネ8:12)
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ1:5)
この「光」が、フォスです。
裁判が進行し、中庭のペトロに光が当たります。
ペトロは、なぜここまでついて来たのでしょう。
心配でたまらなくて、見届けようとした。
あるいは主イエスがメシアであると宣言し、権力者たちを屈服させる、そんな大逆転が起こると期待したのかもしれません。

しかし、死刑判決がくだされます。

「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」(14:67)
何の力もない女性にとがめられ、ペトロは強く否定します。
「そんな事実はない。無実だ。」すると、鶏が鳴きます。
さらに、女性は言います。
「この人は、あの人たちの仲間です」(14:69)
再び、ペトロが打ち消します。
人々が言います。
「確かに、お前はあの連中の仲間だ。」(14:70)
「すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら・・・誓い始めた。」(14:71)
「そんな人は知らない。神かけて誓う」と強く否定したのです。

「するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。」(14:72)

この「いきなり泣きだした。」は、口語訳では「思い返して泣き続けた」と訳されています。
塚本虎二訳は、「泣きくずれた」としています。
「投げ出した」という分詞形が「泣いた」という動詞の前に置かれています。
立っていることができず、崩れ落ちて泣いたのです。



ヨハネ福音書の最後で「わたしを愛しているか」と三度主イエスがお尋ねになり、ペトロに「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:17)と言われます。
どこまでも従います、裏切ったりしませんと力んでいたのに、知らない、誓ってもいいと背いたペトロです。

でもそんなお前をわたしは赦している、お前に託そうと主イエスはペトロを包んでおられます。
わたしたちも背き続ける者ですが、用いられるのです。
(2017年10月15日)



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