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ヨハネ福音書7章40~52
「今まで、あの人のように話した人はいません」(7:46)。
イエスを捕らえてくるように命じられた役人たちは、
主イエスの言葉を聞いてその力に圧倒されたのです。
旧約の預言に当てはめてみたり、先入観でレッテル貼りをするのでなく、
しっかり主イエスの言葉を聞き、
主イエスの振る舞いを見なさいとヨハネ福音書は語ります。
群衆の中には、主イエスを偉大な「預言者」(7:40)
モーセの再来と考える者や、ダビデのような王「メシア」(7:41)として
ローマの支配を打ち破る指導者ではないかと考える者がいました。
しかし、自分たちの願いをかなえてくれる人を求めているだけで、
主イエスの言葉を聞こうとしているわけではありませんでした。
一方、「メシアは(中略)ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」(7:42)
と言う人たちは、ガリラヤ出身のイエスはメシアであるはずがないと考え、
やはり主イエスの言葉を聞こうとしなかったのです。
イエスに対する敵意が高まるなかで、ニコデモが言います。
「まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならない」(7:51)。
ニコデモは、主イエスから
「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(3:3)
と言われて、その意味が理解できなかった人です。
しかし、新しく生まれるとはどういうことだろうと、
主イエスの言葉をずっと考えていたのでしょう。
ニコデモの言葉には、誰でも主イエスの言葉を聞き、
何をなさったかを見たら、
神から遣わされた人であることが分かるはずだという意味が隠されています。
主イエスの言葉を聞き、主イエスの振る舞いを見る、素直な態度こそ大切なのだと、
ヨハネ福音書は語っているのです。
(2015年2月8日)
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