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だれがいちばん偉いか

マルコ福音書9章30~37

「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」(9:35)

どういう文脈でこの言葉が語られたか、注目する必要があります。



「わたしは多くの苦しみを受け、排斥されて殺される」と聞かされても、弟子たちはその話を受け入れることができませんでした。
ペトロは、とんでもないことです、といさめました。
あくまで光り輝くメシアでないと困る、そう弟子たちは考えたのです。
だからこそ、「だれがいちばん偉いかと議論し合っていた」(9:34)


権力と名誉を望む弟子たちの様子を見た主イエスは、弟子たちを叱り、しっかり言って聞かせようとされます。

「一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。」(9:36)

主イエスが天使のような可愛い子供を抱き上げて微笑んでおられる、そんな光景を思い浮かべませんか。
日本では、子供は純真無垢で、無邪気な存在と考えがちです。

そのために、子供のように素直な信仰が大事だと教えられたと受け取る人が多いのです。
でも、これは誤解です。



古代ユダヤでは、子供は何の値打ちもない、律法を守ることができない無力な存在とされていました。
あなたがたは誰が一番偉いかと議論しているが、何の値打ちもない「子供」、この最も小さい者を神は愛しておられるのだと抱き上げ、神の愛を示されたのです。


「このような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(9:37)

軽んじられている「子供」、
無力で小さな存在を受け入れる者は、わたしを遣わされた神を受け入れるのだ、と言われたのです。



主イエスは、立派な人のために命を捨てられたわけではありません。
何の値打ちもないわたしたちのために、命を捧げてくださった。
そのことによって、神の愛を示してくださったことを、受難節にあたって、もう一度味わいたいと思います。
(2017年3月26日)



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