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自分自身の内に塩を持つ

マルコ福音書9章38~50
「お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」(9:38)

十字架と復活の出来事の後、教会がエルサレムに誕生しますが、きびしい圧迫を受けて、各地に散らされました。
この言葉は、エルサレムの教会に従わないなら、イエスの弟子だなどと言うな、という初代教会の状況を反映しているのです。



「やめさせてはならない。」(9:39)は、「子供たちを・・・妨げてはならない。」(10:14)と、同じ言葉です。

「子供」は、「弱い人、軽んじられている人」を意味します。

「イエスの名前を使って悪霊を追い出している者」は、「子供」とつながっているのです。

最初に、「ヨハネがイエスに言った。」(9:38)と書かれています。
このヨハネは、『栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。』」(10: 37)と願った弟子です。
自分こそ先生の片腕と自負していたヨハネが、「あいつらはけしからんので、黙らせました。」と言ったのです。

「キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」(9:41)

「キリストの弟子」は、「わたしを信じるこれらの小さな者」(9:42)とつながっています。

「小さな者、弱い者を温かく受け入れる人」と、「つまずかせる者」(9:42)が対比されているのです。

「もし片方の手があなたをつまずかせるなら・・・切り捨ててしまいなさい。」(9:43)
これは、ブラックユーモアです。
「地獄」(ゲヘナ)(9:43)は、エルサレムの外にあるゴミ捨て場の地名です。
「両手、両足がそろったまま、ベン・ヒノムの谷のゴミ捨て場で焼かれるよりは・・・」という意味になります。

ヨハネは、「雷の子」と呼ばれた人です。
あいつらは許せないと言って、怒り狂っていたのかもしれません。
君ねえ、そんなにいきり立ちなさんな。
そんなに怒っていたら神の罰を受けるぞと、からかいながら、たしなめておられるのです。



「火で塩味を付けられる。」(9:49)は、「火で清められる、腐らないようにされる」という意味です。
イエスに従う者はみな、苦難を避けて通ることができない。
しかし、その苦難によって強められ、まことの弟子になることができると語っているのです。

「自分自身の内に塩を持ちなさい。」(9:50)
火で焼かれるような苦難を乗り越えて、神に愛されている喜びを心の内に持ちなさい。
「互いに平和に過ごしなさい。」(9:50)
欠点があっても受け入れ、互いに仕えなさい。十字架へと向かう旅の途上も、誰がいちばん偉いかと争う弟子たちに、主に従うとはどういうことかをお教えになったのです。
(2017年4月2日)



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