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ヨハネ福音書15章1~17
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」(15:4)
文語訳では「我に居れ、さらば我なんぢらに居らん。」となっています。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」(15:9)
この、「とどまる」と「つながる」は、同じギリシア語です。
ぶどうの木とその枝が一つであるように、主イエスとわたしたちは一つである、わたしの愛のうちに居なさい、と言われるのです。
「実を結ぶ」(15:2他)は、「運んでくる」という言葉です。
神によって実りが運ばれてくるという語感です。
ところで、「豊かに実を結ぶ」(15:4他)とは、何を意味しているのでしょうか。
主イエスにつながっていれば、幸せになれるというのでしょうか。
仕事が成功する、家族が健康で仲良く暮らす、そんなことでしょうか。
教会はほんの少し前まで、「豊かに実を結ぶ」とは、「伝道が実を結んで、キリストを信じる人たちがさかんに起こされること」と考えていました。
神が実りを運んでこられるという元々の意味からすると、わたしたちが努力して成果を得る、立派なことを成し遂げる、ということではありません。
「豊かに実を結ぶ」とは、御心が行われることです。
わたしたちの力では到底できないことですが、主の恵みによって、互いに愛し合い、支え合って生きる者とされるのです。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(15:13)
この箇所を引用して、「友のために犠牲的な精神を発揮する。社会のために、国のために、命を捧げなさい。」と教えてきた歴史があります。
それは間違った読み方です。
主イエスが、わたしたちを友と呼び、わたしたちのために命を捨ててくださった。
そのことを指して、「これ以上に大きな愛はない。」と言われるのです。
そして、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(15:12)と言われます。
命を捨てなさいではありません。
父なる神の願いをすべて伝えたから、御心に従って、互いに愛し合い、仕えあって生きなさい。
そのことを神は、何よりも喜ばれる。
それが「豊かに実を結ぶ」ということです。
自分勝手な思いを実現させようとして苦しむところから解放されて、御心が地に行われるように働く、互いに愛し合い、仕え合う。
「わたしの言葉にとどまるなら」(8:31)、「わたしの愛にとどまるなら」(15:9)、それができると言われるのです。
(2015年11月22日)
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