忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

光あれ

   創世記1章1~5

前提となる知識がなければ、「何が書かれているか」は分かっても、「何を伝えようとしているか」は分からない、あるいはとんでもない見当違いの理解をしてしまう。
聖書は、そういう書物です。

創世記の創造物語は、この世界がどのように造られたかが書かれている書物であると思われがちです。
しかし、この創造物語は、宇宙がどのようにして生成したかを説明する科学の教科書ではありません。

また、人間の起源を語る神話でもありません。
そもそものはじめを、「神と人間との関わり」という一点から語って、この世界と人間の本質と本性に迫ろうとしているのです。



創世記は、ユダの国が滅びエルサレム神殿が破壊された「バビロン捕囚」の時代に、
古くからの伝承を文字に書き留めて編集する作業が始まり、
捕囚から解放された直後に成立した書物です。

国が滅び、生きて再び故郷に帰れるかどうか分からないという絶望と屈辱のなかにあって、
なお神の救いの約束を信じて生きていこうと呼びかける言葉なのです。

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(創世記1:2)

は、原初の世界のありさまを描写する言葉であると同時に、
捕囚の民として希望を失ったユダヤの民の心象風景を表現しています。

ですから、「光あれ。」(1:3)は、太陽が造られたという意味ではありません。

絶望の中にあっても、なお救いの希望が与えられていることを、力強く宣言しているのです。


「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」という言葉は、部落差別撤廃を叫んで立ち上がった全国水平社創立大会宣言(1922年3月3日)の結びの言葉です。
この言葉は、創世記1章を踏まえています。

とうてい差別などなくなるとは思えない絶望的な社会状況のなかで、「光あれ。」という言葉に心を奮い立たせた若者たちがいたのです。



創世記1章は、この世界のすべてが神によって造られたこと、また「闇」(1:4)が支配するかに見える世界も、神の創造の秩序の中に置かれていると語るのです。

(2015年8月2日)

 門司大里教会ホームページに戻る

PR

Copyright © 門司大里教会メッセージ : All rights reserved

「門司大里教会メッセージ」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]