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主の平和

   ヨハネ14章25~31

わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」(14:27)

わたしは父のもとに帰るが、聖霊があなたがたと共にいて、御心が何かを解きあかしてくださる。
これは、復活の日の夕方、弟子たちに主が現れて、

あなたがたに平和があるように」(20:19)

と言われた記事とつながっています。



「平和」は、ギリシア語でエイレネーですが、ヘブライ語のシャロームの翻訳です。

「シャローム」は、「こんにちは」、「こんばんは」という挨拶の言葉です。

「神はこれを見て、良しとされた。」(創世記1:10など)
という状態、神との関係が本来の形に保たれ祝福されている状態がシャロームです。

そして、復活の主が「あなたがたに平和があるように」と言われた、主に与えられた聖霊とともに歩む状態がシャロームです。

「主の平和」は、平和が実現するとか戦争が起こらないという意味ではなくて、聖霊がともにいてくださると語っているのです。


第2次世界大戦後、平和についての研究が盛んになりました。

平和とは何か、戦争がない状態が平和とは言えない。
社会が構造的に誰かを圧迫している状態、世の中の仕組みがゆがんでいて多くの人が苦しむ状態は、平和ではない。
社会の構造を公正なものに作り変えていこう、それが「積極的平和」、英語ではpositive peaceで、ノルウェーの政治学者、ヨハン・ガルトゥングが提唱した概念です。


安倍首相の言う「積極的平和主義」は、英語ではproactive contribution to peaceです。
proactiveは、先を見越して、事前に行動してという意味ですから、平和維持のために事前に行動を起こす、先制攻撃も辞さないということです。

一方、平和学で言う「積極的平和」は、誰もが抑圧されることのない公正な世界をつくり出して、平和を実現しようとしますから、真逆なのです。



世の支配者が来る・・・だが、彼はわたしをどうすることもできない。わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。」(14:30~31)

これは、何を言っているのでしょうか。
主イエスは、たとえ捕らえられたとしても牢を打ち破り、栄光の姿で人々の前に立たれると弟子たちは信じていました。

ところが、無惨な姿で殺されてしまった。

神に見捨てられたのではないかと、弟子たちは思ったのです。
でも、そうじゃない。
わたしは、父なる神の御心に従ったのだ。
十字架の死は、世の権力者に対する敗北としか見えないかもしれない。
しかし、このことによって御心が成就したのだ。

あなたがたには、いつも聖霊が共にいて御心を解きあかし、進むべき道を示してくださる。
だから、「さあ、立て。ここから出かけよう。」(14:31)
と、呼びかけていてくださるのです。

(2015年11月8日)

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