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ヨハネ14章15~24

「掟(おきて)」といえば、律法や十戒を指すのですが、ここで「わたしの掟」(14:15)とは、互いに仕え合い、愛し合うことです。

主イエスを愛するのであれば、互いに仕え合い、弱さをかばいあう、そういう生き方をするはずだというのです。
そして、もうあなたたちと一緒にいることができない、天の父のもとに帰る時が来た。
しかし、決してあなたたちを放っておかない、父は「別の弁護者」(14:16)を遣わしてくださる、と言われた。

「弁護者」(パラクレートス)は、呼び寄せられた者、援助者という意味です。
これが、「三位一体」につながります。



ヨハネ福音書は、聖霊をどう説明しているでしょうか。

御子は世の初めから神とともにおられたが、とき来たって世に遣わされ、地上の生涯を送られた。
そして、父なる神のもとに帰られた。
その姿は見えなくなったが、主イエスが約束してくださった弁護者が共にいて常に助け、導き、神の御心を示してくださる。

近づきがたい、聖なる存在である方が、わたしたちの身近にいてくださる。
そのことを、弁護者、聖霊という言葉で表現しています。

風は目に見えないけれど確かにある。」(3:8)

それと同じように、聖霊は確かに働いているとヨハネ福音書は語ります。

 

永眠者記念礼拝で、わたしたちは何をしようとしているのでしょうか。

お父さん、お母さんの愛、あの懐かしい日々を思い返すということでしょうか。
いいところだけを見て、ああいいお母さんだったね、いいおばあちゃんだったねと言ってほしくはないだろうと思うのです。

人間ですから、どんなに幸せそうに見えても、人に言えない悩みがある。
誰でも、つらい思いや恥ずかしい姿がある。

あのときわたしは、本当に苦しかった。
はらわたが煮えくりかえるような思いをしたということを含めて、真実の姿を知ってほしいのではないでしょうか。

きびしい、危ないなかを守られた。聖書の言葉がずっと支えになった。
神から愛されていることを支えにして生きた。
そのことを思い出してほしいと、願っておられるのではないでしょうか。

わたしたちも、同じように愛されています。
奴隷の姿で弟子たちの足を洗う、という姿を示されています。

そして、わたしに従ってきなさいと呼びかけてくださっています。
この主イエスの言葉を信頼して、従っていきましょう。

(2015年11月1日)

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