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道であり、真理であり、命である

 ヨハネ14章1~14

わたしは道であり、真理であり、命である。」(14:6)
という言葉には、不思議な響きがあります。

わたしたちは自分なりのイメージで聖書を読んでいくのですが、とんでもない思い違いをすることがあります。

ここで「道」は、「父なる神のもとへ行く道」、「父なる神と出会う道」です。

「真理」も、哲学や自然科学の法則のようなものではなく、神の真実に出会うことです。

神がどこまでもわたしたちを慈しんでくださることが、主イエスの言葉と業に示されているのです。
そして、最後に「命」。「命のパン」であり、命の源であるわたしを、受け取りなさいという言葉です。



神を信じていたら何の不安もない、すべてうまくいくといったことではなくて、不安でたまらない、心が乱れる、そういう現実があります。

主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。」(14:5)

これは弟子たちの言葉であり、 後の時代の迫害されている人たちの言葉であり、わたしたち自身の言葉です。
どうしたらいいか分からない、御心はどこにあるのですかという痛切な叫びです。

その時、「心を騒がせるな。」(14:1)という声が響きます。
主イエスにつながることで、御心が分かる。神が信頼できる方であることが分かる。
どんな困難の中にあっても、新たな力を得て立ち上がることができるのです。

どんなに罪を重ねても、裏切っても、神はわたしたちを見捨てることがない、どこまでも約束を守られる、これが神の真実、「真理」です。

どんなに自分勝手で、情けない者をも見捨てず、新たな力を与えてくださる。
これが「命」であるということです。



神の言葉に信頼して歩もうとする時、赦された者として、憎み続けてきた人と和解することができます。
御心に従って、隣人と共に歩み始めることができます。
これこそ「何でもかなえてあげよう。」(14:13)の意味するところです。

(2015年10月25日)

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