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ヨハネ13章36~38
「どこへ行かれるのですか。」(13:36)
主イエスがただならない決意で何事かをなさろうとしていることを、ペトロは察知したのでしょう。
バプテスマのヨハネが首をはねられてから、何年も経っていません。
主イエスが捕らえられるかもしれない。
でも、むざむざ殺されるはずがない。
牢を破り、光り輝く姿で皆の前に立たれるに違いないと、弟子たちは考えたはずです。
「あなたのためなら命を捨てます。」(13:37)と、ペトロは言います。
しかし、主イエスがなそうとしていることの意味を、分かっていないのです。
「今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(13:7)
「今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」(13:36)
何のために主イエスが命を捨てようとされているのか分からないまま、どこまでもついて行きますとペトロは力んでいるのです。
*
75年前、1940年10月17日、青山学院にキリスト者が集まりました。
ほとんどの教派から2万人が集まって、「皇紀二千六百年奉祝基督教信徒大会」を開催しました。
その宣言は前文で、国体の精華をたたえ、大政翼賛、尽忠報国に励むと述べています。
また、この時にあたって、全国の教会は一つの教団になることを宣言したのです。
これを受けて、翌年、日本基督教団が成立しますが、これは、宗教団体法という法律によって、政府が推進したことだったのです。
戦時下の教会は、多くの場合、国家権力の圧迫の下での「受難」として語られます。
しかし、当時の教会が、みずからすすんで「聖戦遂行」に協力したことも、また事実なのです。
「どこへ行かれるのですか。」これは、ペトロの切実な叫びです。
わたしたちも、今、何をなすべきか、なかなか分かりません。
その時、聖書の言葉に帰って行く。
裏切る者、逃げ出す者、もっとも弱い者、あなたのために命を捨てたと言われる、主イエスの言葉と業に帰って行く。
そして、そこに神の御心が表れていることを味わいなさい。
そこから、あなたのやるべきことが見えてくるはずだ。
力んで見当違いのことをやってしまうこのわたしのために、「後でついて来ることになる。」(13:36)と言ってくださる、その言葉を味わいたいと思います。
(2015年10月18日)
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