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新しい掟

ヨハネ13章31~35

自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。

は、レビ記19:18の言葉です。

ここでは、隣人はイスラエルの人々に限定されています。
わたしの隣人とはだれですか。」(ルカ10:29)と言う、ファリサイ人と同じです。

同朋を愛する一方で、よそ者を排除する態度を、主イエスはきびしく批判されます。

当時、サマリア人はイスラエルの人たちから排除されていました。
かつては同じ民だったのですが、異邦の神々を拝むようになって汚れていると言って軽蔑しました。
そういう中で、主イエスはあのサマリア人こそ「襲われた人の隣人になった」と言われたのです。

 

互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(13:35)
とは、どういう意味でしょうか。

互いに愛し合う姿を見て、教会は素晴らしいと世の人は思うだろう。
だから、世の模範になりなさいという風に、教会は教えてきました。

しかし、この言葉は、そういう意味ではありません。

わたしがあなたがたを愛したように」(13:34)なのです。
弟子たちの足を洗われたとき、主イエスは裏切ろうとしているユダの足も、「弟子ではない。」と言って逃げ出すペトロの足も洗われた。
奴隷の姿で、わたしたちの足を洗ってくださった。
十字架にかかって死んでくださった。

互いに愛し合うことなど、わたしたちにはできません。
しかし、主イエスの言葉とわざは、神の御心を示すしるしとして、わたしたちに与えられているのです。



2018年から小学校で、翌年から中学校で、道徳が教科になります。

教科書が作られ、算数や国語と同じように評点がつきます。
特に強調されているのは、「郷土を愛する心」です。

お父さんやお母さんを大切に、友だちと仲良く、郷土を愛する心・・・、決して悪いことではありません。
でも、自分たちの郷土を「美しい」と誇るとき、隣りの国を軽んずるようにならないでしょうか。

主イエスは、「隣人を愛しなさい」という律法の教えを、排他的な行動に結び付けることを、きびしく批判されました。
あなたたちが見下しているあのサマリア人こそ隣人になった、と言われたのです。


立派な行いによって、世の模範になろうと考えるのは間違いです。
互いに愛し合いなさい。」という言葉に従い、社会の片隅で孤立する人の助けとなる働きのために、教会が少しでも用いられるようにと思います。

(2015年10月11日)

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