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なぜ怖がるのか

マルコ福音書4章35~41

「激しい突風が起こり」(4:37)というとき、聖書は同時に、わたしたちの人生の荒波を語っています。
突然、嵐になって波に翻弄される。

「しかし、イエスは・・・眠っておられた。・・・わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(4:38)

ここで「おぼれる」は、「滅ぼす」とか「殺す」という意味の言葉です。

わたしたちが悪の力に滅ぼされてもいいのか。
こんなにひどい目にあっているのに、助けてくださらないのか。
激しい怒りと苛立ちを投げつけているのです。




主イエスは、「風を叱り」(4:39)と書かれています。
会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいた。
そのとき、「イエスが・・・お叱りになると、汚れた霊は・・・その人から出て行った。」(1:25~26)
「叱る」、同じ言葉が使われています。

風を叱りつける、そんな神にしかできないことをやった人がここにいる、というのです。

嵐の中でどうしていいか分からない。
自分の力をたのみ、誰かの力に頼っているかぎりは、投げ出すしかありません。

どんなときも、神は共にいてくださる。
豊かな実りを約束してくださる。
そう信じるからこそ、わたしたちは目の前の業に力を注ぐことができるのです。
そして、自分の力やこの世の力に頼るのではなく、神に依り頼む道を示されるのです。




真っ暗な海には、何が待ち受けているか分かりません。
しかし、「向こう岸に渡ろう」(4:35)と、主イエスが呼びかけてくださるのです。
(2016年9月25日)




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