マルコ福音書4章21~34
「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。」(4:21)
ともし火を吹き消すと、匂うし危険です。
そこで、升をかぶせて火を消したのです。
「ともし火を持って来る」は、「ともし火がやって来る」という言葉です。
世を照らす光がこの世に来た、それなのにわざわざ升をかぶせて消す、寝台の下に押しこんで隠す、そんな愚かなことをするのか。
せっかくわたしが来たのだから、しっかり耳を傾けて聞きなさい。
そして、次のたとえにつながります。
続く二つのたとえでは、「神の国は次のようなものである。」(4:26)「神の国を何にたとえようか。」(4:30)
という言い方をしています。
「神の国」と聞くとびっくりしますが、ここは「神の力が働く仕方は、わたしたちの知恵でははかりしれない」という意味です。
「土はひとりでに実を結ばせる」(4:28)「ひとりでに」は、英語のオートマティックの語源になった言葉です。
いろんなものがボタン一つで動きます。
しかし、農業ではずいぶん手をかけます。
水やりをし、虫を取り除き、枝を剪定し、肥料をやる。
ですから、このたとえは農業の話ではありません。
種にいのちが宿っていて、地に落ちて芽を出す。
大地にはいのちを育てる力があって、豊かな実りをもたらす。
わたしたちが寝ているあいだも成長する。
でも、「どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(4:27)
そして、三つ目のたとえです。
「からし種」(4:31)は、ほんとうに小さな種です。
しかし、成長すると「空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(4:32)
このイメージは、エゼキエル書17章やダニエル書に出て来ます。
王が不思議な夢を見て思い悩む。
大きな木があって、「その木陰に野の獣は宿り、その枝に空の鳥は巣を作る」(ダニエル書4:18)
「野の獣」は獅子、「空の鳥」はワシのような猛禽類です。
強い獣や鳥が巣を作る大木が切り倒される、そういう夢を王が見た。
召し出されたダニエルは、夢を解き明かします。
その大木は、あなたのことです。
しかし、「罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みをお与えになってください。そうすれば、引き続き繁栄されるでしょう。」(ダニエル書4:24)
ダニエルの姿を描きながら、どんな王も神の前には何の力もないと語ります。
小さな「からし種」は成長して、そこに世界中の王が身を寄せる大きな木になる。
わたしたちは、世の力の前で無力です。
打ちひしがれ、どうかこの苦しみから助け出してくださいと祈るしかありません。
しかし、神の力が働いている。
ただ神を信じ、今日一日を歩みなさい。
「世の光」である主イエスが、あなたがたのもとに遣わされたのだ。
わたしの言葉をしっかり聞きなさい。そう語られているのです。
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