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なぜ腹を立てるのか

ヨハネ福音書7章10~24

主イエスは、人の願いをいったん退けたうえで、
別の形で実行なさることがあります。

祭りのために大勢の人が集まっている前で、
人々を驚かせるような業をするようにと勧める兄弟たちの言葉を、
「わたしの時はまだ来ていない。」(7章6)
と退けられました。

そして、目立たないように都に上り、
7日間続く祭りが半ばになったころ、神殿で教え始められたのです。




主イエスの教えを聞いた指導者たちは、
「この人は、学問をしたわけでもないのに」(7章15)
と言います。

この当時は、権威あるラビの弟子になって学ばなければ認められなかったのです。

この男はちゃんとした訓練を受けていないから信用できないぞと、
軽蔑と非難のこもった言葉を投げつけているのです。

主イエスは、神の御心を行おうとする者なら、
私の教えが神から出たことが分かるはずだと言い、
彼らを次のように論破します。

あなた方はモーセの律法は絶対に守るべきだと言いながら、
(男子が生後8日目に受ける)割礼を行っている。

割礼は古くからの習わしに過ぎないのに、安息日律法に優先するというなら、
病人をいやす行為は安息日を守ることに優先するはずだ、と。

そして、「うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい」(7章24)と結ばれます。
これは、神の教えに従おうとして、かえって人を断罪してはならない、
神の愛と慈しみを見上げつつ行動しなさいということです。



かつて日本の教会は「禁酒禁煙」を信仰箇条に掲げました。
信仰の証しとして酒を慎むのは、決して悪いことではありません。

しかし、倫理的な指針を神の教えであるとして絶対視することは、
かえって大きな問題を引き起こします。

真面目に敬虔に生きることが、神に従うことであるかのように理解したり、
「正しい信仰」から外れる人を見下したり排除することにつながるのです。
(2015年1月18日)


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