マルコ福音書12章35~37
「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。」(12:36)
「救い主」は、ヘブライ語で「メシア」、ギリシア語で「クリストゥス」、英語で「クライスト」、日本語で「キリスト」です。
引用された詩編とうまくつながるように、「メシア」と翻訳されています。
「キリストはダビデの家系から生まれるとされているが、それはどういう意味か。」という問いです。
ダビデは、紀元前1000年頃、今から約3100年前に強大な統一国家を作りました。
イスラエルは、ダビデとその子ソロモンの時に繁栄を誇りましたが、ソロモンが亡くなると分裂してしまいました。
人々は、強い王が現れてローマの支配を打ち破り、かつての栄光を回復することを待ち望んでいたのです。
それに対して主イエスは、神の約束される救い主は、そんなものではないと言われたのです。
「人の子は必ず多くの苦しみを受け、・・・排斥されて殺され、三日の後に復活する」(8:31)
主イエスは、ご自分を「ダビデの子」ではなく、「人の子」とされました。
敵を蹴散らし武力を誇る王ではなく、「人の子」だと言うのです。
「人の子」は、救い主、メシア、キリストを指す独特の用語で、ヘブライ語の「ベン・アダム」(アダムの子)から来ています。
アダムには二つの意味があります。
一つは、アダムという名を持つ最初の人間です。
もう一つは、人間一般です。
土の塵(アダマー)で造られ、神の命の息を吹き込まれて人間(アダム)となったと、創世記2章に印象深く記されています。
神話的な表現ですが、象徴的です。
人間はただの土くれに過ぎない、しかし神に命を吹き込まれることによって人間となるのです。
メシアは、あなたがたが待ち望んでいる「ダビデの子」ではなく、「人の子」だ。
土くれの子孫、ただの人間が救い主になる。
これは、驚くべき言葉です。
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(10:45)
「身代金」とは、誰かを買い戻して自由の身にするためのお金です。
借金のかたに奴隷にされた人のために、親戚の人がこの人を解放してくださいと言ってお金を差し出す、これが身代金です。
わたしは自分の命を献げて、あなたがたを自由の身にする。
そのために、わたしは来た。
まことのメシアは、強い王として繁栄をもたらす「ダビデの子」ではない。
自分の命を献げ尽くして、神の愛を深く悟らせるのだ、と言われるのです。
(2017年7月23日)
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