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献げ尽くす

マルコ福音書12章38~44
「律法学者に気をつけなさい。」(12:38)

ここで後に続いているのは、分詞です。
動詞が分詞形になって、「○○する律法学者に気を付けなさい」という風に、形容詞的に使われています。

「長い衣をまとって歩き回る」
「律法学者に気をつけなさい」。
「広場で挨拶されること」や
「上座に座ることを望」む
「律法学者に気を付けなさい」
という風に、限定的に読むべきです。

律法学者すべてではなく、正装に威儀を正して厳かに振舞い、尊敬を集めているが、真実がない人たちを指しています。
先例にならって決められたとおり役割を果たしているという、わたしたちにもあてはまるのです。



威厳に満ちた姿で尊敬を集める律法学者と、みんなから嘲られるようなわずかの献金しかできない「やもめ」が対比されています。

「やもめ」は、孤児、寄留の民と並んで、弱く貧しい者、軽んじられている人を代表しています。

「この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」(12:44)

「乏しい」という言葉は、「欠乏」、「欠けている」という言葉です。
必要なものにさえ事欠く中から、すべて献げた。
「生活費」という言葉は、「財産」とか「富」という意味の言葉です。
放蕩息子の物語で、「お父さん、わたしがいただくことになっている財産の分け前をください。」(ルカ15:12)と弟息子が言います。
「生活費」と訳されている言葉は、放蕩息子が分けてもらった「財産」と同じ言葉です。
やもめは、すべての財産を献げたということになります。


しかし、「すべてを献げるすすめ」として読むのは、ちょっと変です。
14章の「ナルドの香油の物語」もそうです。
香水はほんの数滴で、かぐわしい香りで満たされるのです。
一瓶すべて注ぐのは、やりすぎです。
ですから、語られているのは、「すべてを献げるすすめ」ではありません。

二人の女性、わずかの小銭を献げたやもめと高価な香油を献げたベタニアの女性は、
すべてを献げ尽くしてくださった主イエスの歩みを指し示すものとして、同じ重みがあるのです。



わたしたちのために身代金として命を献げてくださった主イエスに、どのように従うか。
わたしたちを罪から解放し、自由の身にしてくださった主イエスに従って、日々どのように歩むか、
あらためて考え直していきましょう。
(2017年7月30日)





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