マルコ福音書13章1~13
神殿の崩壊は、「いつ起こるのですか」、
終わりの日には
「どんな徴があるのですか」(13:4)
と弟子たちは尋ねます。
これに対して、主イエスは何と言われたか。
「人に惑わされないように気をつけなさい。」(13:5)
戦争は繰り返し起こる。
だが、世の終わりの前兆などではない。
地震や飢饉が起こるが、これも世の終わりではない。
長く続く苦痛の始まりに過ぎない。
主イエスは、いつ終わりが来るか、どんな徴があるか、一切語っておられません。
「気をつけていなさい」(13:9)
「気をつける」とは、「見る」という言葉です。
見ることによって、本当に大切なものは何か、本質を見極めるという言葉です。
いろんなことがある、苦しいことがある、驚くようなことがある、戦争がある、
でもそんなことで騒ぎ立てるな。
何が起こっているか、見きわめなさい。
神の救いの業が完成に向かって進んでいるのだ、と言われたのです。
「福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。」(13:10)
「終わりの日」には、神が正しい民のために、悪い民を力でねじ伏せて下さる。
弟子たちは、そう考えていたはずです。
ところが、主イエスは「あらゆる民に」と言われます。
異邦人にも、悪事を重ねてきた者にも、福音が宣べ伝えられる。
弟子たちは仰天したことでしょう。
正しい者だけが救われ、悪者は踏み潰されると教えられてきたのですから。
神に敵対してきた者を含めて、すべての人が救いへと招かれている。
これは、驚きだったはずです。
この良きおとずれ、福音を宣べ伝えなさい。
戦争が起こった、災害が起こった、世の終わりが来たと慌てふためくのではなく、
すべての人が救いへと招かれている喜びを伝えなさい。
「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(13:13)
「耐え忍ぶ」には、忍耐するという意味と、しっかり立ち続けるという意味があります。
与えられた場に、しっかり踏みとどまる。
わたしたちの力で頑張るのではありません。
聖霊が共にいて助けてくださる。
だから、天地がひっくり返るような恐ろしい目にあっても、与えられた場に踏みとどまることができるのです。
主イエスが語られる「終わりの日」は、喜びに満ちています。
すべてを失う絶望の時ではありません。
救いが完成する時です。
迫害する者の前に立っても、あなたにも神の救いが及ぶと、伝えることができる。
その喜びの中で、弟子たちは身を潜めて生きるのではなく、大胆に語ったのです。
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