マルコ福音書13章14~27
「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つ」(13:14)
は、ダニエル書の引用です。
吐き気を催すような偶像が、エルサレム神殿に置かれたのです。
紀元前168年、シリアの王アンティオコス・エピファネスが
神殿にギリシアの神ゼウスの像を置いて汚した。
紀元39年~41年頃には、第3代ローマ皇帝カリグラが
自分の像をエルサレム神殿に置こうとした。
ところが、暴動を恐れた総督が時間稼ぎしているうちにカリグラが暗殺され、
皇帝の像が置かれることはありませんでした。
宣教師が日本にやって来たとき、いたるところに寺社仏閣があるのを見て驚き、
偶像を拝んではならないと強調しました。
そのために、わたしたちは偶像というと仏像や寺社仏閣を思い浮かべます。
しかし、聖書が強調するのは人間を神としてはならないということなのです。
内村鑑三の不敬事件は、1891(明治24)年に起こりました。
前年に発布された教育勅語の奉読式が第一高等中学校でおこなわれ、
5名ずつ教育勅語の前に進み出て最敬礼しました。
これは神を礼拝する形です。
内村はためらい、おじぎだけで済ませました。
それが問題とされ、辞職に追い込まれます。
その時、内村を弁護する人は、教会にほとんどいなかったのです。
キリスト教は外国の宗教で皇室を敬うとか愛国心の点で疑わしいとされるなかで、
努力の末にやっと世間の信用を得た。
それなのに、内村のせいで、また白い目で見られることになると非難したのです。
天皇のために命を捧げよと臣民の道をたたき込んだのが、教育勅語です。
天皇を神とすることは、偶像礼拝そのものです。
植民地とされた朝鮮では、村ごとに神社を建てて朝夕参拝し、
天皇の臣民としての精神を鍛えあげる「一村一社運動」が押し進められました。
1938年には日本の教会代表が朝鮮に出かけて、
「神社は祖先に敬意を表すもので、宗教ではない」と、神社参拝を説得しました。
神社参拝を拒否した18の学校は、廃校とされました。
このとき大勢の牧師や信徒が投獄され、拷問を受け、命を落としました。
天皇崇拝によって、わたしたちは大きな罪を犯したのです。
そのことを忘れて、平和を語ることはできません。
「気をつけていなさい。」(13:23)
「気をつける」は、「見る」、何が大切か本質を見抜くという言葉です。
わたしたちは、豊かな暮らしを求めて、悪に目をつむってしまいます。
今持っているものにしがみつき、
弱い人たちを切り捨てていることに目を向けようとしません。
しかし、最も弱い者のそばに立つ十字架の主イエスを仰ぐとき、
自分の姿に気づき、隣人と共に生きる道へと踏み出すことができるのです。
(2017年8月13日)
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