マルコ福音書12章28~34
「隣人を愛しなさい」という言葉で思い出すのは、善きサマラヤ人のたとえ(ルカ福音書10章)です。
汚れた民だと見下していたサマリアの人が隣人となった、神は民族の壁を越えてすべての人を愛しておられる、隣人となるよう招かれている、と主イエスは言われたのです。
今日の箇所では、神を愛することと隣人を愛することは、一つにつながっていると語ります。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」(12:28)と律法学者が尋ねます。
主イエスの答えは、こうです。
「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(12:29~30)
これは申命記6章の引用で、ユダヤの人が朝晩唱える「シェマー」です。
そして、
「隣人を自分のように愛しなさい。」(12:31)
これはレビ記19章の引用です。
この二つが、律法の中で最も大切な掟だと言われたのです。
レビ記19章には、具体的な掟が記されています。
「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」(レビ記19:9~10)
「雇い人の労賃の支払いを翌朝まで延ばしてはならない。」(レビ記19:13)
今日の賃金で、やっと食べていけるという人がいることを思え。
「寄留の民」とは、故郷を追われて避難してきた人、難民です。
あいつらは何をするか分からない、早く出て行ってもらいたい、こんな感じのよそ者です。
あなたたちも、かつてエジプトの地で寄留の民であったことを思い出せ。
掟だから「隣人を愛する」というのではなく、その背後にある神の愛を覚えなさい。
神は、どんな立派な生贄よりも、貧しい人弱い人が大切にされることを喜ばれるのだ。
すべての人を愛する神の御心に従って、隣人を愛していこう。
これが律法のすべてだ。
神を愛そう、人を愛する喜びに生きよう。
あなたも、神から愛されているのだから、隣人に愛を注いでいこう。
そう、主イエスは呼びかけておられるのです。
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