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まだ悟らないのか

マルコ福音書8章11~21
「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種」(8:15)は、並列に置かれているように見えます。
よくなされる説明は、こうです。「ファリサイ派の人々のパン種」は、信仰熱心なあまり大事なことを見失うという、宗教家のおちいりやすい過ちを指している。
一方、「ヘロデのパン種」は、この世の富や権力み心を奪われ、神を見ようとしない人たちを指している。
そんな落とし穴に気を付けなさいと言われたのだ、という理解です。



しかし文脈からみると、ここで語られたのは、信仰熱心には大きな落とし穴があるという警告です。
「ヘロデのパン種」は、言葉のあやに過ぎません。

ファリサイ派の人々は、律法を忠実に守った信仰篤い人たちです。
しかし、熱心さのあまり、安息日の掟を軽んずる男がメシアであるはずがないと思い込み、イエスを受け入れなかったのです。

彼らは、権力を守るためにローマに媚びへつらうヘロデを、軽蔑していたはずです。
しかし、「信仰熱心な」彼らは、実はヘロデと何ら変わらない、と主イエスは言われたのです。



「まだ悟らないのか」(8:21)には、深い意味が隠されています。
①主イエスが一緒におられる限り、パンのことなど心配しなくてよい、これが表面的な意味です。
次に、
②主イエスがメシアであることに気づかないのか。
さらに、
③メシアとはいったいどういうものか、分かっていない。

この三重の意味が隠されています。



弟子たちは、ずっと悟ることが出来ず、復活の主に出会って初めて目が開かれたのです。
主イエスはそんな弟子たちの弱さをよく分かったうえで、行動を共にし、逃げ出した者たちの前に復活の姿を現されたのです。

わたしたちは失敗を繰り返す者ですが、赦され、愛されています。
そして、わたしを食べなさいと招かれています。それが最大の慰めであり、喜びなのです。
(2017年2月12日)




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