忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

わたしが選んだ

ヨハネ福音書6章60~71  

「私の肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る」(6章54)

という主イエスの言葉を聞いて、弟子たちはつまずきました。

自分のことを「天から降って来たパン」(6章58)などと言うのは、
自分を「神と等しい者」とする恐ろしい考えであり、
十戒の第一戒に反していると考えたのです。

こうして、「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。」(6章66)というのです。





ナザレのイエスは神を冒涜していると考えたユダヤ教の指導者たちが、
主イエスを十字架につけたとされています。

しかし、主イエスが神の子であると信じなかったのは、
弟子たちも同じだとヨハネ福音書の記者は書いているのです。

「あなたがたも離れて行きたいか」という主イエスに、
ペトロが「あなたこそ神の聖者であるとわたしたちは信じ、また知っています。」(6章69)
と答えます。

マルコ1章で「神の聖者」と叫ぶのは、「汚れた霊に取りつかれた男」です。
ペトロの言葉はもっともらしい信仰告白に聞こえるが、
主イエスのなさろうとしていることが何ひとつ分かっていなかったのは、
あの裏切り者のユダと同じだというのです。

主イエスこそ、ローマの支配を打ち破ってイスラエルの繁栄を回復してくださると、
ユダは考えていました。
ところが、主イエスが受難と十字架の死を予告されると、
期待が大きかっただけに深く失望し、憎悪するようにさえなったのです。

私たちも、同じように考えていないでしょうか。
聖書の言葉を聞いてもこの世の問題の解決に何の役にも立ちそうにない、
教会に通っても私の悩みや苦しみは何一つ解決しない、という思いです。
自分にとって都合の良いイエスを望んでいるのです。

そんな私たちに、
「あなた方は私が選んだ」
「あなたがたも離れて行きたいか」
と主イエスは問いかけられます。




私のしたこと、私の言葉を信頼しなさいと、主イエスは呼びかけておられます。
神の息吹は、今日も私たちに降り注いでいるのです。

「恐れるな、わたしはあなたを贖(あがな)う。あなたと共にいる。」(イザヤ書43章1、5)
と言われる主を信頼して歩みましょう。

(2014年11月30日)

  ホームページに戻る

PR

Copyright © 門司大里教会メッセージ : All rights reserved

「門司大里教会メッセージ」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]