ヨハネ福音書21章20~25
わたしたちは主イエスに従うときでさえ、周りに気を取られます。
あの人はどうなのだろうと、気になって仕方がないことがあります。
しかし、
「あなたに何の関係があるのか。」(21:22)
他の人を羨むのではなく、自分に与えられた使命をしっかり果たしなさい。
それぞれに、与えられた使命があるのです。
Ⅰコリント12章にあるように、一つの体に、目があり口があり耳がある、手があり、足があって、それぞれの働きをするわけです。
それぞれの働きを、神が祝福しておられる。
だから、目が手に向かって、要らないとは言えない。
頭が足に向かって、要らないとは言えない。
それぞれが役割を担っている。
「あなたは、わたしに従いなさい。」(21:22)
「わたしは世の光である。」という言葉に続いて、何と言われているか。
「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(8:12)
暗闇の世にあって、世の力に頼らずに歩む。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は世の力に頼らず、暗闇の世にあって、命の光を保ち、神の愛を伝える。」
世の光である主に従うことによって、わたしたちは大きな使命を果たすことができるのです。
「従いなさい」という言葉を、誤解しないようにしたいものです。
わたしたちは、いったん救われたら間違いなく歩み続けることができると思いがちです。
しかし、聖書は、つまずき続け、誤解し続け、背き、逃げ出す弟子の姿を描いています。
主イエスが十字架にかかる直前まで、弟子たちは自分たちの中で誰が一番偉いかと言っていたのです。
しかし、そんなわたしたちを、主は召し出して、用いてくださるのです。
ペトロは、ガリラヤの漁師に過ぎませんでした。
しかし、
「わたしに従いなさい。」(21:22)という主イエスの声に従ったのです。
わたしの手足になって、愛の働きをしなさい、と招く主の声を聞く時、わたしたちは心を閉ざしてはいけないのです。
人間なんてこんなものだ、世の中なんてこんなものだと言ってはならない、わたしは若者にすぎませんと言ってはならない、わたしは口が重いのですと言ってはならないのです。
使命をなしとげる力は必ず与えられると信じて、与えられた課題と使命を果たすべく従うのです。あなたに従います、どうかわたしを用いてくださいと、祈りましょう。
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