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わたしを愛しているか

   ヨハネ福音書21章15~19

「わたしを愛しているか」(12:15、16、17)と主イエスから三度尋ねられ、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」とペトロが三度答える、そんなやりとりが出て来ます。
「愛」という言葉は、ギリシア語には三通りあります。
新約聖書には、愛「アガペー」は動詞で136回、名詞で117回出て来ます。
一方、友を思う愛「フィレオー」は動詞で25回、名詞で1回です。
そして、男女の愛「エロース」は一度も出て来ません。



ペトロの「愛している」という言葉は、三度ともフィレオーです。
主イエスの「わたしを愛しているか。」の初めの二度はアガペーで、三度目はフィレオーです。
主イエスがアガペーで問いかけ、ペトロはフィレオーで答える。
そして、三度目にはフィレオーで問いかけられフィレオーで答える、そんな不思議なやりとりです。


「わたしを愛しているか」と問われて、ペトロはたじろぎます。
主イエスが捕らえられて尋問されているとき、知らないと言って逃げた。
自分は、もう岩(ペトロ)と呼ばれる資格はない。
だから、「愛しています」と言えなかったのです。
「わたしがあなたを好きなことは、よくご存知のはずです。」と答えたのに対して、主イエスは再び「わたしを愛しているか。」と言われる。

「わたしは、あなたを赦している。だから胸を張って、愛していますと答えなさい」、とおっしゃるのです。
しかし、ペトロは、「愛しています」と言えません。
三度目に主イエスは、「わたしが好きなのだね。」と言われる。
そして、ペトロは三度、同じ言葉で、「わたしはあなたのことが好きです。」と答える。
逃げ出した自分を恥じ、ためらったのです。
それに対して主イエスは、あなたは愛していると口にすることができない。

それでいいよ、分かっているよ、わたしはとっくに赦しているのだ、と言われるのです。
主イエスとペトロとの問答を、わたしたち自身の問答として受けとめたいと思います。
神の前に出る資格などないと落胆し、絶望するわたしたちに、主イエスは新たな使命を与えてくださるのです。



神に愛され、赦されていることを知ったのだから、
神に愛されていることを人々に伝えなさい。
「わたしの羊を飼いなさい。」(21:17)この呼びかけに応えて歩みたいと思います。
(2016年4月10日)


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