ヨハネ福音書21章1~14
「ティベリアス湖」(21:1)は、ガリラヤ湖のことです。
ヘロデ大王の死後、3人の息子が領地を分割して、ローマから領主と認められます。
ガリラヤの領主ヘロデ・アグリッパは、ローマ式の都市を建設し皇帝の名前をとってこの町を「ティベリアス」と名付けます。
そのそばにあることから、「ティベリアス湖」と呼ばれたのです。
「ティベリアス湖」は、6章にも出て来ます。
主イエスの話を聞こうとして大勢の人がやってきた。
男だけで5千人いた。
五つのパンと二匹の魚を主イエスが
「分け与えられた。」(6:11)
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(6:35)
そのあと、弟子たちが舟で湖を渡ろうとした時、嵐が起こった。波と風に翻弄されて、舟が沈みそうになる。
その時、主イエスが湖の上を歩いてこられた。
「嵐の海」は、「悪魔が支配しているように見える闇の世界」です。
この世の力に翻弄される弟子たちに、
「わたしだ。恐れることはない。」(6:20)
エゴー・エイミー、「わたしは神である」という言葉が響くのです。
「どんなに努力してもうまくいかない。今日も空しかった。」
と、くたびれ果てるとき、もう一度「網を打ちなさい。」(21:6)と言われる。
そこには、おびただしい魚が約束されている。
ペトロが算える「百五十三匹もの大きな魚」(21:11)だけ、魚に「イクスース」という言葉が使われています。
「イエス・キリスト、神の子、救い主」とギリシア語で書き、その頭文字をとると「イクスース」(魚)という言葉になる。
ローマのきびしい迫害の時代、地下の墓に隠れて礼拝をした。
その時、壁に魚の絵を描いた。
「イエス・キリスト、神の子、救い主」が、153匹なのです。
当時、魚の種類が153とされていたという説があります。
とすれば、神の救いはすべての魚、つまりすべての被造物に及ぶ、という意味になります。
たくさんの魚と聞くと、ユダヤの人たちはエゼキエル書を思い出します。
エゼキエルは、破壊されたエルサレム神殿が再建される幻を、捕囚の地バビロンで語りました。
神殿から湧き出た水が大きな流れになる。
そこには、おびただしい魚がいる。
「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」(エゼキエル書47:10)
ローマが世界を支配しているけれど、今、命の水が湧き出ている、救いの時が来たと語るのです。
そして、
「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(21:12)
わたしのパンを食べる者は飢えることがなく、わたしの水を飲む者は渇くことがない、と招いてくださるのです。
(2016年4月3日)
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