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死から命が始まる

    ヨハネ福音書19章31~42

十字架で処刑された人は、何日も十字架にかけられたまま、苦しみ抜いて死にました。
しかし、主イエスはその日のうちに十字架から下ろされました。
ユダヤ人たちが、処刑されたまま放置するのは、律法(申命記21章)に反すると考え、十字架から下ろすように願い出たのです。



十字架から下ろすときには、足を折って絶命させました。
ところが、主イエスはすでに息を引き取っておられたので、足を折られることがありませんでした。
こうして、「過越の犠牲の羊の骨を折ってはならない」(出エジプト記12:46)という聖書の言葉が実現したのです。

彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」(19:37)は、ゼカリヤ書12章の引用です。

神の民が神を刺し貫くという、恐ろしいことが起こる。
その日、エルサレムの神殿から命の水が湧き出るというのです。
兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。」(19:34)
この「血と水」は、聖餐とバプテスマに与る者は永遠の命を受けることを表しているとされています。



続く言葉、「それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。」(19:35)は、主イエスの体から血と水が流れ出た、その光景を忘れることなどできない、という証言です。
主イエスは、過越の犠牲の小羊として死なれた。
足を折られなかったのは、そのしるしだ。
神の民が、神の子を刺し貫いた、とんでもない罪を犯した。
しかし、この死は、死で終わるものではない。
三日目に、神が死者の中から引き起こす、復活の出来事が起こる。
復活の主から溢れ出る命を受けるわたしたちにとって、死も命も新しい意味を帯びている。
復活の主に従って、新しい命を生きるのだ。

アリマタヤのヨセフやニコデモのように、人の目を恐れてはならない。
高価な没薬と沈香を捧げても、何の役にも立たない。
新しい命を生きる者となりなさい、復活の主に従いなさいと、呼びかけられているのです。
(2016年5月1日)


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