忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

成し遂げられた

    ヨハネ福音書19章17~30

ヨハネ福音書は、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34、マタイ27:46、詩編22篇1)という言葉を記していません。
しかし、「わたしの衣服のことでくじを引いた」(19:24)とか「渇く」(19:28)という言葉で、詩編22篇を想起させます。
人々から嘲られ、屈辱を受けた人の苦しみを、主イエスが引き受けられたと語るのです。





「ぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。」(19:29)

「ヒソプ」は、過越の小羊の血を鴨居に塗るための草です。(出エジプト記12:21~22)
「縫い目のない一枚織りの下着」(19:23)は大祭司として罪の赦しをとりなされたことを、「ヒソプ」は過越の小羊であることを示しています。

ヨハネ福音書は、「自ら十字架を背負い」(19:17)、「成し遂げられた。」(19:30)と十字架の出来事を描きます。

一人も滅びないように、御子を世に送り、あがないの小羊にするという神の計画が成し遂げられた。
「成し遂げられた」は、現在完了の受身形です。
受身形は神の御心によって実現したことを示しています。

現在完了は、十字架の出来事が成し遂げられ、今もその状態が続いていることを表現しています。
「ユダヤ人の王」(19:19、21)が三回繰り返されます。
ナザレのイエスこそ、まことの王だと語っているのです。
人々は、ダビデ王の再来としての「メシア」を期待しました。
ダビデ王のように強い兵力でローマの支配を打ち破り、強い力で平和をもたらす「メシア」です。
五つのパンと二匹の魚を五千人に分け与えたとき、人々は指導者に担ぎ上げようとします。
そのとき、主イエスは、「ひとりで山に退かれた。」(6:15)

主イエスは、力によって支配する王ではないと、語っているのです。

世の王は、権力を振るいます。
しかし、主イエスは、人々に「仕える」方です。

奴隷の姿をとって弟子の足を洗い、愛をもって仕える姿を示されました。



二つ目に、主イエスは「とりなす」方です。
世の王は、敵意と憎しみを煽り、武力を誇示して戦いを挑みます。
しかし、主イエスは「敵意という隔ての壁を取り壊」す(エフェソ2:14)方です。



三つ目に、主イエスは真実な神を「伝える」方です。
いつわりの権威に取り囲まれているわたしたちに、神の言葉と愛を伝えてくださったのです。



わたしたちは、神に赦された者として、愛をもって人に仕えることができます。
友のためにとりなすことができます。
慈しみとまことに富たもう神を、伝えることができます。それが、まことの命を与えられ、救われたしるしです。
(2016年4月24日)


ホームページに戻る
PR

Copyright © 門司大里教会メッセージ : All rights reserved

「門司大里教会メッセージ」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]