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見ないのに信じる

    ヨハネ福音書20章19~29
復活の日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、戸に鍵をかけていた。
そこに復活の主が来られて、真ん中に立たれた。
そして、「あなたがたに平和があるように」(20:19)と言われた。




「シャローム」は、神との平和、神と共にある平安です。
最初の人アダムが造られ、すべての生き物と調和のある暮しの中に置かれた、創世記にあるような神との関係が回復される、これが「シャローム」です。
「息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」(20:22)「息を吹きかける」は、創世記2章に通じるものです。
わたしたちは塵に過ぎないような存在です。
希望もなく、人を恐れて不安の中に生きています。
しかし、聖霊(神の息吹)を受けるとき、喜びにあふれ、恐怖から解放されて、神の働きを担う者とされる。

自分は何の力もないと言っていないで、神の命の息に励まされて、愛の手を差し伸べなさい。
一杯の水を差し出しなさい。
それが大きく広がっていくことを、信じなさい。

復活の日の夕方にその場にいなくて、復活の主に出会えなかったトマスは、自分の目で見、自分の手で触れてみなければ、信じないと、正直な思いを口にします。
そんなトマスに、主イエスは「納得できないなら、わたしに触ってみなさい」と言われるのです。
主の言葉に触れたトマスは、もう触れる必要などありません。
「わたしの主、わたしの神よ」(20:28)と信仰を告白します。

「見ないのに信じる人は、幸いである。」(20:29)
あなたがたは復活の主イエスの姿を見ることができないけれど、神の言葉が与えられている。
神の言葉を信じて歩む、その幸いを味わってみなさい。
そんな言葉でもあるのです。



「光は暗闇の中で輝いている。」(1: 5)わたしたちは、この世に来てくださった主イエスを信じ、受け入れ、聖霊を受けて、暗闇のようなこの世で輝くことができる。
塵に過ぎないわたしたちが、神の息吹を受けて真実の命を生きることができる。
「わたしもあなたがたを遣わす。」(20:21)この言葉に励まされて、神の手足となって愛の業を行う者にさせていただきたいと願います。
(2016年5月8日)

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