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喜びにあふれる

マタイ福音書2章1~12


マタイ福音書の降誕の記事は、「ヘロデ王の時代に」(2:1)という書き出しです。

ヘロデという名前を聞くと、バプテスマのヨハネを処刑し、主イエスを十字架につけたときのヘロデの姿が思い浮かびますが、降誕物語に登場するのは父のヘロデ大王です。



16節以降には、2歳以下の男の子を皆殺しにする記事が出てきます。

王家を守るために、子どもたちを皆殺しにせよとの命令を下す、権力者の姿を描き出します。

「ヘロデ王の時代に」(2:1)というひと言で、救い主が誕生したのは、残虐な王が支配する時だったと語るのです。


そして、「占星術の学者たちが東の方から」(2:1)やって来ます。

これは、文明が栄える東方からという意味です。

彼らは、天文学者であり、星占いであり、病気の治療や金銀を精錬する技術など、あらゆる科学技術に通じていました。
そして、聖書の預言から救い主の誕生を知って、星に導かれてやって来たのです。

ここで、なぜ博士たちはヘロデのところに行ったのか、という問いがあります。

これは、第一に、やはり王宮で生まれると考えた。
第二に、救い主が生まれたのは残虐な統治のもとであったことを強調するために、ヘロデを登場させた。
第三に、異邦人でさえ気づいたのに、祭司長たちや律法学者たちは救い主の誕生を無視した。
この三つの意味があります。


いろんなことに気づいても、何もなかったように見過ごしにする。
そんなわたしたちの姿は、この祭司長たちや律法学者たちの態度と同じかもしれません。

「星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」(2:9)

「星が先立って進む」は、神が導いたという意味です。
そして、「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」(2:10)

救い主の誕生に立ち会うことができたことを知って、「喜びにあふれた。」のです。

彼らは、信仰を持っていたわけではありません。
しかし、行動を起こした。
そして、救いの出来事に出会い、「喜びにあふれた」のです。



「別の道を通って」(2:12)も象徴的な言葉です。

救い主は別の道を指し示している。
あなた方も権力者に従うのではなく、神に従いなさいと呼びかけているのです。
(2015年12月27日)



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