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マリアの讃歌

ルカ福音書1章46~55


人を傷つけ、いつまでも腹を立て赦すことができない、他の人の良さを認めようとしない。
これが、わたしたちの姿です。

一緒に手を取り合って喜び合いたい、笑い合いたいにもかかわらず、です。



ご一緒に祈ったリタニーの最初の部分は、「部落解放祈りの日の祈り」を、少し手直ししたものです。
人を差別し人権を無視するのを止めようという祈りは、「マリアの讃歌」に通じるものがあります。

「マリアの讃歌」は、何の取り柄もないこんなわたし、田舎娘にすぎないわたしに、神様は「目を留めてくださった」(1:48)と歌います。

小さくされ、差別され、踏みつけにされている人が、神様の目には尊い。神様が大切にされるというのに、わたしたちが踏みつけにしていいはずがない。

印象深いのは、「飢えた人を良い物で満たし」(1:53)という言葉です。

この言葉の元になった箇所があります。

「主は渇いた魂を飽かせ/飢えた魂を良いもので満たしてくださった。」(詩編107:9)

怒りと悲しみをかかえ、満ち足りない思いで、嘆き、葛藤するわたしたちに、神様は目を留め、良いもので満たしてくださる。
新たな光を与えられ、分かち合い、支え合って生きる、新しい歩みを始める。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見」た(イザヤ9:1)




クリスマスにローソクを灯すのは、心閉ざし嘆いているところに、希望の光が与えられる象徴です。

クリスマスの救いの業を感謝のうちに受け取り、まことの喜びへと導かれていきましょう。
(2015年12月20日)



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