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ヨハネ福音書11章17~27
聖書では、「命の息を吹き入れられ」て、人は生きる者となると言います。(創世記2章7)
一方、神から遠く離れ、命の息を失うこと、これが「死」です。
神から離れ、まことの命を生きていない人は、生きながら死んでいる「死者」なのです。
主イエスの言葉を神の言葉として受け入れる人は誰でも、「今」「死から命へと移っている。」とヨハネ福音書は語ります。
「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、・・・死から命へと移っている。」(5:24)
「死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」(5:25)
「永遠の」というのは、千年も万年もという時間の長さではありません。
神に従い、ほんとうの命、新しい命を生きる人になると語っているのです。
余命わずかという方が、ホスピスでチャプレンにいろいろ話をなさるそうです。
命を終わるにあたって、少し悔いがある。あの人と仲違いして、そのままになっている。ひと言、謝りたい。そんな気持ちになるそうです。
余命わずかでなくても、今すぐにでも和解できるはずですが、わたしたちにはその勇気がない。心を閉ざして、あの人が悪いといつまでも言い続けます。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(11:25)
不思議な、謎に満ちた言葉です。
十字架の死を目前にして、主イエスが語られた言葉です。
わたしは、もうすぐ殺される。しかし、そのことを通して、神が働いておられることがはっきりと分かるようになる。
「復活」という言葉は、神によって「死者の中から起こされる」という使い方をします。
「死んでも生きる」というのは、肉体が死なない、不老長寿ということではありません。人の目を恐れて何にもできない、死んだかのような状態から解き放たれて、神の御心に従って生きる者とされるということです。
心を閉ざし、神から遠く離れて生きる、かたくななわたしたちが、復活の主イエスによって招かれている。
支え合い助け合って生きる命へと招かれているのです。
今、わたしの言葉を受け入れて、命を受けなさい。死者の中から呼び起こされて、生きる者となりなさいと呼びかけられているのです。
(2015年6月7日)
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