忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

死で終わるものではない

ヨハネ福音書11章1~16



ラザロの復活物語は、キルケゴールの『死に至る病』、ドストエフスキーの『罪と罰』、いずれも世界の名著とされるこの2冊の書物に大きな影響を与えた聖書箇所です。

ラザロの復活物語は、他の福音書には出てきません。

これほどの出来事が、どうしてヨハネ福音書にしか書かれていないのか、とても不思議です。



このラザロの物語に続いて、ろばの子に乗ってホサナと迎えられてエルサレムに入っていき、受難の物語が始まります。

ヨハネ福音書では、受難の出来事、十字架の出来事は、ラザロの復活において始まっているという書き方になっています。

ベタニアは、エルサレムから2.7キロ、歩いて40分ぐらいの近さです。

主イエスがエルサレムにいるときには、たびたびこの兄弟を訪ねる、そういう親しい関係にあったようです。

マルタとマリアというと、忙しく働くマルタが、主イエスの話に聞き入っているマリアにいらだって、少しは手伝うように言ってくださいという場面を思い出します。(ルカ10章)



この兄弟は、どんな人たちだったのでしょうか。

マルコ14章やマタイ26章によると、ラザロは重い皮膚病でした。

当時、重い皮膚病は、神の罰を受けたからだと考えられていました。

家族の一人が重い病気になって、村はずれに追放された。
幸せに暮らしていたのに、急に差別の対象になった。

主イエスは、そんな兄弟と親しく関係を結ばれたのです。


神の栄光のためである。」(11:4)

これは、神に栄光が現れるためにわたしたち人間に不幸が起こる、という意味ではありません。

不幸な出来事、悲惨な出来事、つらい出来事が、私たちを襲う。
しかし、どんな困難に遭ってもそれを乗り越えていく力が与えられる。
試練のなかで、わたしは神と出会ったという出来事が起こる、そのことを言っているのです。



ラザロの復活の物語は、ヨハネ福音書に書かれたしるしの物語の七つ目として、置かれています。
そして、受難と十字架の出来事を導くものとして、このラザロの物語が語られている。
そのことを、しっかり受けとめましょう。
(2015年5月31日)

  ホームページに戻る

PR

Copyright © 門司大里教会メッセージ : All rights reserved

「門司大里教会メッセージ」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]