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ヨハネ福音書10章22~42
神殿奉献記念祭(ハヌカ)は、ユダヤ教を抹殺しようとしたセレウコス朝シリアの過酷な支配から解放されたことを祝う祭りで、紀元前165年に始まり今も続いています。
主イエスの時代、人々はローマから解放してくれるメシアを待ち望んでいました。
そういう背景の中で、人々が主イエスを取り囲み、あなたはローマに対して立ち上がるメシアなのかと問いただしたのです。
しかし、主イエスは、神が与える救いはあなたがたが願うものとは違うと語ります。
心を開いて、わたしの言葉を聞きなさい、わたしのしている業を見なさい、そうすればわたしが神から遣わされていることが分かるはずだ。
ところが、あなた方は自分勝手な思いで判断し、わたしを信じようとしないときびしく批判しているのです。
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」(10:16)
主イエスは、囲いの外にいる羊も、一つの群れになると宣言されます。
ところが教会は、「教会の外に救いはない。」と言い続けてきました。
わたしたちにも、そんな気持ちはないでしょうか。
あの人は救いから遠い、あんな奴が救われるはずがない、などと思っている。
わたしたちは、共に喜び共に悲しむことができない、欲張りで自分勝手な者です。
しかし、そんなわたしたちが一つの群れとされる。
主イエスが父なる神と一つであり、すべての人が一つにされることを願っていてくださるからです。
「わたしと父とは一つである。」(10:30)
「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。」(17:21)
これは、捕らえられる直前の主イエスの言葉です。
違いを乗り越えて、すべての人が一つにされる。互いにいたわり合い、支え合って生きる者とされる。それが神の御心なのです。
主イエスが羊を知っている、一人ひとりを見守っている、だからわたしたちは羊飼いに従っていくことができ、一つの群れとされるのです。
(2015年5月17日)
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