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世を愛される神

ヨハネ福音書3章16~21


「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3章16)

という言葉は、ひと言で福音を表していると言われます。





ここで「世」(コスモス)とは、主イエスを受けいれないで対抗する勢力、また現実の世の中を指しています。

神様に逆らい、罪を重ねる世を、神様は愛されるというのです。

「滅び」と訳されているのは、アポルーミというギリシア語です。
この言葉はルカ福音書15章に集中的に出てきます。

羊の群れから一匹の羊を「見失った」、10枚の銀貨のうち1枚を「なくした」、また放蕩息子のたとえでこの息子は「死んでいた」のに・・・と訳されているのと同じ言葉なのです。

「一人も滅びない」は、「一人も失われない」という意味なのです。神様は、たとえ逆らう者であっても、滅びるのを喜ばれないのです。



シャガールの描いた絵に、創世記22章を題材にした「イサク奉献」があります。

アブラハムが薪の上に横たえたイサクをまさに刺そうとするその時、天使が現れて「その子に手を下すな」と止める場面です。

遠く左にはサラがいて、我が子が刺されようとする姿に絶叫しています。

驚くことに、右上に十字架を負ってゴグゴタの丘に向かう主イエスが描かれています。

アブラハムにはストップがかかり、独り子イサクは助かりました。

しかし、十字架を負った主イエスの歩みは止められなかったのです。

シャガールは、この二つの場面を対比させて、神の愛を描いているのです。



「光が世に来たのに、人々は(中略)光よりも闇の方を好んだ。」(3章19)

神様の招きを聞いても、自分中心の生き方を変えようとしない、それが私たちの姿です。

良心的に生きようと願いながらも、社会的な立場や名誉にしがみつき、大切なものを失いたくないと闇の世に留まるニコデモは、そのまま私たちの姿です。





そんな私たちをも神さまは愛し、招いておられます。

招きに応え、神の息吹きを受けて、日々新たな歩みへと踏み出す者となりましょう。

(2014年8月24日)


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