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ヨハネ福音書3章22~36
バプテスマのヨハネの弟子たちとイエスの弟子たちとの間で、どちらが正しいかの議論があったというのです。
このときヨハネが、「わたしは喜びで満たされている」「わたしは衰えねばならない。」(3章29~30)と言ったのはどういう意味でしょうか。
キリストに対するヨハネのへりくだりと説明されることが多いのですが、もっと深い意味が隠されています。
「喜びで満たされている」という言葉は、ヨハネ15章にも出てきます。
「わたしはまことのぶどうの木」(15章1)
「わたしにつながっていなさい。」(15章4)
そして、
「これらのことを話したのは、(中略)あなたがたの喜びが満たされるためである。」(15章11)
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(15章13)
「あなたがたはわたしの友である。」(15章14)
と続きます。
ヨハネは、自分を「花婿の介添人」(3章29)であると言います。
花婿の介添人は、友人が務めたそうです。婚礼がとどこおりなく進むよう細かく気を配り、花婿の喜びを共に喜ぶのが介添人です。
賞賛されたい、認められたいと、人の目を気にして、喜んだり腹を立てたりするのが人間です。
そんな自分中心に生きる私たちですが、皆やがて衰えます。
そんな私たちに、「わたしにつながっていなさい。」と主は呼びかけ、友と呼んでくださいます。
だからこそヨハネは、「わたしは喜びで満たされている」と言ったのでしょう。
立派に生きようとすると、だらしない人を見下したり、情けない自分に絶望したりしてしまいます。
そんな私たちをそのまま受けいれ、「わたしにつながっていなさい。」と言われる主の招きに応えるとき、喜びに満たされた者とされるのです。
(2014年8月31日)
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