マタイ福音書5章17~26
今日のところから先は、「六つの反対命題」と呼ばれています。
十戒や律法はこう教えている、
「しかし、わたしは言っておく。」(5:22、28、32、34、39、44)と6回繰り返されます。
あなたがたの理解は、不十分だ。その本当の意味を、わたしが語って聞かせようというのです。
ここで、主イエスの言葉をそのまま文字通り受け止めると、おかしなことになります。
主イエスの言葉は、皮肉とユーモアに満ちているのです。
「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、・・・」(5:20)
「彼らよりも、もっときびしく厳格にやらないとだめだ。」そんなことを、主イエスが言われるはずがありません。
どんなに逆立ちしても、出来っこない。
それなのに、どうして頑張ろうとするのか、という皮肉が隠されています。
「祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、・・・まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」(5:23~24)
誰かにひどい仕打ちをして、その怒りをかったままで礼拝しても、神は受け入れてくださらない。
わたしたちは、誰かに腹を立て、逆に誰かから憎まれる、そんな関係の中で生きています。
互いに傷つけ合っていることに気づいて、和解しなさい。
隣人との和解を後回しにしてはならない、と言われるのです。
では、わたしたちは、腹を立ててはいけないのでしょうか。
腹を立てるのは、人間の自然な感情です。
間違った行為に腹を立てるのは、正しいことです。
しかし、あいつなんか人間じゃない、あいつなんかいなくなれ、死んでしまえ、と相手を抹殺するような考えを持ってはならないのです。
不正に腹を立てるのは、正しいことです。
ただ、正義を振りかざして、戦争した例は数多くあります。
ですから、正義によって腹を立てているのだと考えるのは、恐ろしいことです。
わたしたちは、どこまでも自分が正しいと思い、人を抹殺していく罪から抜け出すことができません。
しかし、わたしたちは神の前で赦され、愛されています。
互いに兄弟を愛し合いなさい、互いに足を洗い合いなさいと言われた、主イエスに従っていきましょう。
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