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地の塩、世の光

マタイ福音書5章13~16

「地の塩、世の光」は、対句になっています。
わたしたちは、人間の集団の中に「塩」(5:13)として置かれ、腐っていくのを食い止める役割を与えられています。
そして、何の希望もない闇の世界に「光」(5:14)として置かれ、神の「救いの光、希望」を掲げる役割を果たすのです。



「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(5:16)

この言葉は誤解されがちです。
「輝く」という言葉は、自動詞です。
「頑張って輝かせよ」と言われたのではなく、神が置かれたまま素直に生きるだけで、おのずから輝くのです。
だから、わざわざ隠すような愚かな真似をするな、というのです。

1963年8月28日、キング牧師は首都ワシントンで20万人を超える人々を前にして、「わたしには夢がある。」という有名な演説をしました。
そのわずか4ヵ月前、キング牧師はアラバマ州バーミングハムの獄中にいました。
公民権を求めて平和的なデモ行進をしていて、逮捕されたのです。

数日後、新聞に意見広告が出ました。
アラバマ州のキリスト教の主な教派の責任者8人の連名でした。
キング牧師たちの行動は、過激で法を破壊するものであり、キリスト者にあるまじき行動だ、というのです。
これに対して、キング牧師は獄中からきびしく反論しました。

「教会は、(行く手を指し示す)ヘッドライトでなく、尾灯でしかない。(世を導く)声ではなく、(伝統的な考えを繰り返す)エコーでしかない。つまずきの石は、差別主義者やKKKではなく、正義より『秩序』に献身する白人穏健派である。」

わたしたちのものの見方は、時代の常識に縛られていることを自覚する必要があります。
時代を見抜く目を持とうと意識しないと、世の動きに流され、正義がないがしろにされるのを見逃してしまうのです。
教会は、神に従って何が正しいかを語ることもなく、体制に順応するだけの存在となってしまうのです。



神に従う者として、導かれるまま語り、行動するだけで、「光」はおのずから輝くのです。
わたしたち一人ひとりは、平凡な人間ですが、「地の塩」、「世の光」として用いられるのです。
主の言葉に励まされて、歩んでいきましょう。
(2018年4月22日)




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