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義のために迫害される人々は幸い

マタイ福音書5章10

「義のために迫害される人々は、幸いである」(5:10)

「迫害される」とは、「追い払われる」という意味の言葉です。
ユダヤ教の会堂から追放される、この村から出て行けと言われる、そういう言葉です。

人間をどこまでも救おうとされる神の愛、これが「神の義」です。

「義のために迫害される人々」は、「福音のために迫害される人々」です。

あなたは何の希望もない、目の前真っ暗だと嘆いているけれど、そんなあなたのつらさを、わたしは分かっているよ、という慰めの言葉です。
がんばれがんばれと、咤激励する言葉ではありません。

「預言者たちも、同じように迫害された」(5:12)という言葉の陰に、「わたしも同じように迫害されて死ぬ」という言葉が、隠されています。

誰よりもひどい目にあったのは、主イエスです。

十字架の死と復活の出来事の後、弟子たちは気づきます。
主イエスこそ、「義のために迫害された人」である。
自分の命を捧げて、救いの道を開いてくださった。
その主イエスが、「幸いだ、大いに喜びなさい」と語っておられるのです。

本当にひどい仕打ちを受け、命を差し出すような中にあっても、主イエスは神に喜んでいただく喜びを味わっておられた。
それが、「天には大きな報いがある。」(5:12)の意味するところです。

神と心が通じている、神に喜んでいただけるという思いで、従うことができると語っているのです。

「義のために」、苦しみを受ける。神に従って歩もうとして、攻撃され、ひどい仕打ちを受ける。
ひどい目にあって気の毒に、あんなことを言わなければいいのに、あんなことをしなければいいのに、と思われるなかでも、神は共にいてくださる。

「虐げられても見捨てられず」(Ⅱコリント4: 9)

迫害されても、神から見捨てられることはない。

「喜びなさい。大いに喜びなさい。」(5:12)

神の御心が分かる、神に喜んでいただけるという喜びの中を、生きることができる。
それだけで十分ではないか。
そう励ましが与えられているのです。



「義のために迫害される人々は幸いである。天の国(神の国)はその人たちのものである。」(5:10)
誰からも理解されず、弟子たちにも分かってもらえなかった主イエスが、残された言葉です。

今、あなたがどんなに苦しめられているとしても、あなたは決して見捨てられることはない。
その言葉に励まされて、歩みましょう。
(2018年4月15日)





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