マタイ福音書5章9
「平和を実現する人々は、幸いである。」(5:9)
神から祝福され、安らぎを与えられ、満ち足りている状態が「平和」(シャローム)です。
「主は平和を宣言されます・・・。主を畏れる人に救いは近く、慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし、正義は天から注がれます。」(詩編85:9~12)
シャロームは、神から与えられるものであり、神の義や救いと深い関係にあるのです。
「彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ書53:5)
ここでは、シャロームと救いがほぼイコールです。
主イエスは最後の晩餐の席で、弟子たちに告げられました。
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」(ヨハネ14:27)
わたしはあなたがたの目の前からいなくなるけれど、
「シャロームをあなたがたに残し、わたしのシャロームを与える。」
そして、復活の日の夕方、部屋に閉じこもって震えている弟子たちのところに現れて、言われました。
「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20:19)。
あなたがたから恐れが取り去られ、平安が与えられるように。
そして、神が共にいてくださるように、聖霊が共にいてくださるように。
1981年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は広島での平和アピールの中で、「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。」と4回も繰り返し、「暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりを持とう。」と呼びかけました。
昨年12月、ノーベル平和賞の授賞式でサーロー節子さんは、「人類と核兵器は共存できません。」、「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。」と、ご自分の体験を通して語られました。
その活動は、初めから温かく迎えられた訳ではありません。
激しく非難され、罵られたのです。
アメリカの人たちからだけではありません。
アジア系の人たちから、あなたの国がわたしたちに何をしたか知っているのか、被害者面しないでほしい、と批判されたのです。
サーロー節子さんは、キリスト者としてそのことを深く受け止めながら、核兵器廃絶を訴え続けてこられたのです。
わたしたちには、神のシャロームが与えられています。
どんなにひどい争いの中にあっても、どんなに悪し様に言われても、隣り人のために立ち上がることができるのです。
赦されるはずのない者が赦されたことを受け入れるとき、互いに受け入れ、赦しあい、まことの平和に根ざして歩き始めることができるのです。
怒りを和らげ、互いの誤解を解くために、とりなしの祈りを捧げることができるのです。
(2018年4月8日)
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